yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

過激と鎮魂と—羽生結弦選手のフリー演技「天と地と」in「北京オリンピック2022」

1年前の「全日本選手権」のフリー曲でもある「天と地と」。当ブログに記事をあげている。

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この2020年の全日本選手権フリー曲の編集過程について、羽生結弦選手自身が語っているのを上の記事中にあげている(元はスポニチのインタビュー)。続けて、この曲の特徴とそれが意味するものを分析・解釈している。今現在もその曲解釈は変わっていないので、ご興味のある方はお読みいただければ幸いである。

このときのショート(SP)曲はRobbie Williamsの「Let Me Entertain You」。これはrockerの生き様を描いた作品。羽生結弦選手の「再生」への強いメッセージ性が感じられるものだった。つまり戦闘的、過激。だからフリー曲の「天と地と」と曲調とは同質のものといえるかもしれない。

しかし一昨年12月の「全日本」と今回のオリンピックのSPの選曲はまるで違ったものだった。優雅を具現化したような「序奏とロンド・カプリチオーソ」。この組み合わせの意味するところは、SP曲が表象する繊細・優雅といった女性的なもの(陰)に対してフリーには対照的な(陽の)「天と地と」を持ってきたことだろう。目的としては陰に対して陽の曲を合わせ、陰陽の完結を目指したのではないか。羽生選手がこの一年の間に芸術的かつ哲学的ステージを数段あげたことがわかる。彼はまさに求道者なのだ。終わることのない求道の道標を一つ一つ見せてくれている。

上杉謙信の戦場に臨む想いを深く胸に刻み、謙信公の心理にまで踏み込んで解釈、そこに自らの「戦場」に臨む姿勢を重ねた。羽生選手は、この長きに渡る上杉と武田間の戦闘史の文献を読んで、このリンクという「戦場」に臨んだのではないだろうか。常に死と対峙する武士(もののふ)の生のあり方。そこに自身の戦いを重ねたのだろう。そう思わせるほどの激烈なスケーティングだった。以前の記事にも書いたように、これはまさに「サブライム (the Sublime)」の具現である。美を超えたところに出現するサブライム。そこには死を暗示する深淵が存在する。

もう一歩進めて、死の次の展開を見せているのがさすがに羽生選手の演技である。彼はどうあっても4Aを跳ばなくてはならなかったのだ。サブライムを表出するには他に手段はない。それが自らの死を覚悟して戦場に臨んだ謙信へのオマージュであり、羽生結弦が羽生結弦である「自己実現」でもあったから。そして、そこには強い(そして重い)鎮魂の重いも込められていたように思う。この人が神がかっていると感じるのはそういう瞬間である。

彼の跳んだ4Aは正式に認定されたという。とても悦ばしい。でもそれはあくまでも「付録」に過ぎない。もっと高い境地を彼は見せてくれたし、これからも見せてくれると確信している。