yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

本郷理華さんの草薙素子!in 「フィギュアスケート全日本選手権女子フリー」@長野市スポーツアリーナ ビッグハット 12月27日

本郷理華さんの草薙素子!もう、驚嘆した!まさに草薙素子がそこにいたから。衣装も雰囲気も素子。発達した筋肉、肢体。しかし男性の筋肉質的なものではなく、フェミニンな柔らかさがある。新聞記事から拾った本郷理華さんの舞姿。

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素子のことを最初に知ったのがペンシルベニア大学の学部生・院生共に履修可能な「現代日本映画」のコースにおいてだった。男子院生のひとりが素子のことを「voluptuous (肉感的な、官能的な) 」と形容するのを聞いて、「なるほど!」と納得した。ただ、「肉感」といっても女性性を極度に切り詰めて、シャープさが際立ったもの。シャープでありながら、なおかつ女性的豊潤を纏っている。そんな素子に一目で惚れ込んでしまった。

米映画での実写版『Ghost in the Shell』(2017)には、だから失望した。映画館ではなく、飛行機の機内だったので許せたんですけれど。スカーレット・ヨハンソンは確かに綺麗な女性ではあるけれど、あまりにもvoluptuous豊満。 あの1995年の映画版の素子とはかけ離れていた。「女」が際立ちすぎていた。

本郷理華さんがこの『Ghost in the Shell』の「Utai」部をフリーで使っておられることをshamonさんのコメントで知り、今回の大会では是非見ようと決めていた。録画したものを先ほど確認したのだけれど、本当に素子に出会えたように感じ、うれしかった。「女」素子というより、少佐(Major Kusanagi)感の手応えがズシンときた。

特に、あの映画版の冒頭部から展開する戦闘場面での素子が彷彿された。かっこよくて、勇ましくて、凛々しくて、美しい素子!誰よりも強い素子。腕のあげかた、振り方、振り下ろしかた、身体の捻り方、回り方、跳び方、それら全部が素子だった。ひとつひとつが、「ああ、あのシーンだ」とわかるもので、理華さんの研究のほどがよくわかった。同時に、素子をそこまで愛しておられるのもわかった。じんときた。素子愛の連帯感を(勝手に)感じながら、見ていた。おそらく多くの素子ファンが同じ想いを共有したはずである。

サイボーグなので感情的なものは極力抑制しているもの、時折感情の噴出がある。それは素子が素子たる所以。サイボーグとして生きざるを得ない宿命の中で、葛藤する素子。その様も表現されているのにも、脱帽した。

最後に向けての大胆で激しい演技−−スケーティング、ステップ、スピン、ジャンプ−−は息を詰めて見てしまった。クライマックスは衝撃的だった。ここまで読み込んで、ここまでなりきっての演技。他のスケーターたちとは一線を画していた。これは十代の人には無理な曲である。映画、アニメ版でも強いメッセージ性があるので、それを理解する頭脳が要請される。

もっともほとんどの若いスケーターたちは、自分が使う曲にそこまでの愛着があって使っているわけではないように感じた。フィギュアは若い方が「有利」なはずである。でも曲の理解の点では劣ることが多い。トップグループも一通り見たけれど、さほどの感興を呼ばなかった。4回転なる高度ジャンプをいくら跳ぼうとも、4分間にわたる中でストーリーを描けなかったら、それは虚しい。なんの苦悩もなく、あっけらかんとしている優勝選手を見て、何か違和感を感じた。まあ、スポーツなので当然なんでしょうが。

芸術的な面がもっと審査対象になるべきではないだろうか。ど素人の私がいくら喚いても、日本を、世界を動かすなんてこと、到底無理ですよね。