yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

「輪」の祈念が舞になった羽生結弦選手 「花になれ」@日テレ 24時間テレビ

動画をリンクしておく。

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知らないうちにすさんでいた自身の心。それに気付かされた羽生結弦選手の舞。気づいたら泣いていた。

コロナ禍で活動、行動を制限せざるを得ない中、知らず知らずのうちに人との接触を断ち、自分を繭に閉じ込めてしまっている。人が「敵」に見えたりもする。人への怒りで全身がはち切れんばかりに膨張している。こども頃の純真な疑いを知らない心は永遠に取り戻せないかもしれない。

そういう諦めの中で出逢った羽生結弦選手の舞。少年の初々しさを身にまとった羽生結弦選手が表象するのは、純真無垢な「こどもの精」になった一輪の花。その舞の断片のひとつひとつが、その流麗な流れが、一輪の花になっていた。そしてそれは、こどもたちと大人たちとのつながり、輪(=和)の実現への祈願にも感じられた。

癒しであると同時にもっと強いメッセージを感じた。身を挺しての祈念、そういう強烈な想いのひとことが冒頭の「あなたは今わらえていますか」だった。それが「どんな明日も苦しいほどその命は強く輝く」の一輪の花に収斂している。

いつもより、羽生結弦選手の舞に「輪」、「円環」を感じた。一輪の花として屹立するのではなく、大きなうねりの輪のリングのひとつとしてのスケーティング。ジャンプも流れを断つものではなく、より盛り上げるもの。もちろんいつもの羽生選手のスタイルではあるのだけれど、どこかいつもとは違った何かを感じた。美しく舞うというのではなく、メッセージの媒体としてのメディアムに徹するというか。

この舞こそ、幼いこども、少年少女たちにみてもらいたい。一番活動の範囲が広いはずの幼いこども、思春期のこどもたちが今最も活動をそがれている。街を歩いていて、小さなこどもたちがマスクをしている姿を見ると涙が出てきてしまう。私たちがしっかりして、彼らを守らなくてはならないのに、事態は悪くなる一方。非常な犠牲を彼らに強いる状況はまだまだ続きそう。

だから、幼いこども、少年少女たちにこそこの舞をみてもらいたい。自身の強く輝く命を感じてほしい。癒しを、励ましをもらってほしい。

もちろん心が刺々しくなっている大人も世界とつながっている確かさ、輪を感じたい。命の輝きを感じたい!

羽生結弦選手の「すべてに寄り添っているような演技をしていけたらいいなと思っています」ということば。寄り添わなくてはならないのは私たちの方なのに。一輪の花でいてくれるだけで、それだけで癒しです。演技がつけばもう神の域です。

動画を使わせていただき、ありがとうございます。教えてくださったshamonさま、ありがとうございます。24時間テレビはあからさまな商業主義が厭でみたことはないのですが、こういうプログラムは価値がありますね。