ファンタジーオンアイス神戸オープニング、羽生結弦選手は『新世紀エヴァンゲリオン』のテーマ曲、「残酷な天使のテーゼ」を使ったんですね。ToshIさんのボーカルで。あまりにもツボ!これ以上ない選択。碇シンジになりきった結弦さんに、興奮を抑えきれない。結弦さんの舞に14歳のシンジがかぶる。未熟で、それでいて限りない可能性を予測させるシンジが。
『新世紀エヴァ』はその黙示録的意味深さで人を虜にしてきた。今も多くの若者を惹きつけている。独特の世界観で、完成度が高くないのが、逆に人を惹きつけている。未熟であることを卑下しない。むしろ可能性として提示する。登場する登場人物も、アニメの中だからこそ創出できたのだろう。映画の実写版では不可能。ましてや現実の舞台ではさらに不可能。
『新世紀エヴァ』、私は綾波レイへ思い入れがあったのだけれど、それもシンジがいたからこそ。二人は陰陽の図を具現化しているんですよね。別にこんな風に考えなくとも、羽生選手が先導する「残酷な天使のテーゼ」を楽しむことはできる。でもそこに「陰陽」を投射することで、この曲の持っている背景がより際立つように思う。『新世紀エヴァ』はすごい作品なんです!
実際に見たかったのは山々なれど、チケット取るのは難しい。でも録画映像では実際の舞台の半分も伝えきれない。そこをなんとか折り合いをつけて映像を見ている。
「残酷な天使のように 少年よ 神話になれ」。少年のイニシエーションを詠ったこの「残酷な天使のテーゼ」。歌詞がかきたてる圧倒的イメージの力「少年が神話になった」羽生結弦さんは、まさにシンジ。リアルシンジ。
でもこの美しい人が踊っている映像を見ていると、苦しくなってしまう。あまりにも残酷な!リンクに身を投げたすところ、両手で頭を抱え込むところ、なんとも切ない。純な魂の天使が苦しんでいるように思えて。『エヴァ』のシンジより繊細に思える羽生結弦さん。群舞の中、苦悩に憑かれたかのように踊り狂う結弦シンジ。
そんな結弦シンジを、バックのお兄さん、お姉さんたちが支え、応援している。華麗な舞を固唾をのんで見守っている観客も応援。総力を挙げて羽生結弦=碇シンジを支えている。それも、彼が「誰よりも光を放つ少年」だから。少年の結弦選手が膝をつき後ろに反り返ったところがクライマックス。「少年よ 神話になれ!」のToshIの叫びに完璧に一致していた。
私たちは、少年が今まさに神話になる瞬間を目撃した。とんでもないものを見てしまったんですね。彼の舞はいつも事件。事件を目撃する観客になれなかったけれど、近いうちにきっと!
<追記>
先ほどアントニオ・マルケスのスペイン舞踊、『アントニオ』をBS放送(2018年の再放送)で見たのだけれど、その情熱的な舞踊が羽生結弦さんの「残酷な天使のテーゼ」のパッション溢れる踊りに重なった。
アントニオ・マルケスはスペイン国立バレエ団でプリンシパルに上り詰めた後、フラメンコとバレエとのハイブリッドである「スペイン舞踊」を継承、自ら舞踊団を立ち上げて世界中で公演している。舞踊『アントニオ』は同じくスペイン出身でバレエダンサーからフラメンコダンサーへと転じたグラン・アントニオの生涯を描いている。
マルケスの舞台、特にその群舞の舞台が「残酷な天使のテーゼ」の前半の群舞部分の作りに似ていた。整然と一糸乱れずに揃ったスケーティング、要所要所に入る手足の決めポーズ。これらはまさにマルケスが演出するスペイン舞踊にかぶる。群舞の間を縫って登場するマルケスにライトが当たる。羽生結弦選手の登場もまさにこれ。そして、うちに秘めた情熱を解放するかのような、激しい踊り=スケーティング。羽生選手はsereneな外見、マルケスは見るからにワイルド。しかし両者とも一旦演技になると、裡からほとばしり出る強烈な念のようなエネルギーで見る者を圧倒するのは共通している。
マルケス自身が主人公を演じているのだけれど、舞台監督も兼ねている。全体のそして個人の演出から照明、衣装、大道具、小道具、設備一式の責任を負っている。舞台芸術としてのスペイン舞踊のパノラマにして魅せるのだ。
「残酷な天使のテーゼ」を振付け、演出したのはどなただったのだろう。羽生結弦選手が最終的にやりたかった、やりたいのはマルケスのような振付け、演出を全て負う総舞台監督ではないかと感じた。舞踊芸術としてフィギュア・スケートを魅せる役割を負った舞台監督。出てくる作品はジャンルとして新しいものになるだろう。バレエとフラメンコの合体した「スペイン舞踊」のように。