yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

【『繻子の靴』——テクストと演出】in『繻子の靴をめぐる対談@京都芸術センター10月30日

渡邊守章さんと木下歌舞伎主宰の木ノ下裕一さんとの対談形式のワークショップ。とはいえ渡邉さんのレクチャーに木ノ下さんが質問形式で補う形式が採られていた。

私が渡邉さんをじかに拝見するのは1995年の吹田メイシアターでの『サド侯爵夫人』以来。この時は演出家。私のすぐそばの客席に座っておられたっけ。この公演を見ておいて本当に良かった。ずっと記憶に残る凄絶かつ静謐な舞台だった。三島由紀夫の考える芝居のエッセンスがぶち込まれていた。これで三島の演劇で博士号を取ろうと決心し、アメリカに渡った。とはいえ、渡邉さんの優れた演出がなければ、さほど感激はしなかっただろう。

ポール・クローデル作『繻子の靴』が渡邊守章演出、剣幸主演で京都造形芸術大学の春秋座に12月10、11日に乗る。この情報は普通なら見逃してしまうところ、先日猿之助と巳之助の歌舞伎公演を春秋座で見た折、ロビーで公演掲示を発見。ラッキーだった。何か密やかに掲示されていたんですよ。もっと大々的に宣伝していただきたい。正式には『繻子の靴 - 四日間のスペイン芝居』っていうらしい。上演時間は原作に合わせてなんと8時間!以前に日本で上演された折には最終部がカットされたという。というわけで、今回が初の完全版上演。ワグナーのオペラ並みの長時間上演。かなり覚悟して出かけなくては。でも渡邉さんの演出を残念ながら「サド」以外は見ていないので、楽しみにしている。彼は原作の翻訳もされている。以下、『エンタステージ』からの紹介記事

「上演時間8時間超!ポール・クローデルの『繻子の靴』四部作、12月に日本初演」
2016年12月10日(土)・12月11日(日)の2日間、京都・京都芸術劇場 春秋座にて『繻子の靴―四日間のスペイン芝居―』が上演される。本作は、フランスの劇作家・詩人であり、世界各地で活躍した外交官でもあったポール・クローデルが、大正時代、大使として日本滞在中に書き上げた戯曲。大航海時代の黄金世紀スペインを舞台に、禁じられた恋の“すれ違い”が描かれている。

「1日目」「2日目」「3日目」「4日目」と名づけられた四部構成になっており、上演に半日はかかるため、日本では長い間、上演困難な作品の一つとされてきたが、ついに歴史的な日本初上演を迎える。今回の上演時間は約8時間(途中約30分の休憩が3回入る)。

出演者には、元宝塚歌劇団月組男役トップスターの剣幸をはじめ、吉見一豊、石井英明、阿部一徳、小田豊、瑞木健太郎、狂言・茂山家から七五三、宗彦、逸平などが名を連ねるほか、能楽師・藤田六郎兵衛が笛のライブ演奏を行い、野村萬斎も映像出演で参加。

翻訳・構成・演出は、フランス演劇研究者でもある渡邊守章。渡邊は、これまでにも本作の「朗読オラトリオ版」やマルチメディアパフォーマンスとして「2日目第13場」の『二重の影』を上演。さらに2014年度より、共同利用・共同研究拠点事業テーマ研究として、春秋座での劇場実験、役者との稽古を2年に渡り重ね、満を持して「全曲版」へと挑戦する。

【あらすじ】
アフリカ北西海岸の総司令官であるドン・ペラージュの若い妻ドニャ・プルエーズは、ふとした偶然から出遭った騎士ドン・ロドリッグに激しい恋を抱いているが、結婚の秘蹟に妨げられて、恋を遂げることはできない。年老いたペラージュは、臣下ドン・バルタザールの警護のもと、わざとプルエーズを遠方に派遣しようとするが、プルエーズはまさにその機を利用し、ロドリッグのもとに走ろうとする。だが、ロドリッグは偶発的に起こった戦闘で重傷を負い・・・。

『繻子の靴―四日間のスペイン芝居―』は、12月10日(土)・12月11日(日)の2日間、京都・京都芸術劇場 春秋座(京都造形芸術大学内)にて上演される。チケットの一般発売は、9月28日(水)10:00から開始。

羽生結弦選手のスケーティングと能とを関連づける論文を書いたのだけど、それも羽生結弦さんと野村萬斎さんとの対談に感銘を受けたから。羽生結弦さん経由で「野村萬斎」に「出会った」ことになる。

渡邉氏はまだ10代の武司を名乗っていた頃の萬斎さんに出会い、彼をご自分の演出する舞台(すべて実験演劇)に起用されたたというのを、『狂言三人三様野村萬斎の巻』(岩波書店、2003年刊)で知った。ここでの渡邉さんの萬斎論が秀逸。昨日もバッグに入れて京都のこのワークショップに行った。そして帰宅直後に、羽生結弦選手のカナダグランプリの演技を見れたなんて、何か深い縁を(勝手に)感じてしまう。私の中で一つに繋がったという感じ。

このわずか90分ばかりのワークショップで、いろいろな情報を得られた。どれも興味深いものだった。一つ目は映像を組み込むという話。また照明にも新しい試みがあるとか。でも、「これは大衆演劇の芝居、ショーでは常套なんだよね」っと思ってしまったんですけどね。三層になった舞台の一部(これは別の芝居?)を画像で見ることができた。

また、渡邉さんの以前に演出された舞台の一つ、マルグリット・デュラス作、『アガタ』(1998年のもの?)の一部を映像で見た。舞台に鏡を貼っていたとのこと。兄と妹の「禁断の愛」(なんて興味深い!)を描いている。登場人物は二人のみ。二人のまるで舞踊のような絡み。木ノ下さんは「文楽のよう」ってコメントされていたけど、私には舞踏(ブトー)に見えた。

そういえば今回『繻子の靴』の演出(補佐)を担当される木ノ下さんのお話で、彼と渡邉さんとは京都造形芸大の教師/学生として出会われたとわかった。彼はジュネの『女中たち』を南北の『四谷怪談』に絡めて論じる渡邉さんの講義に感銘を受けたという。女中たちのあの「ごっこ遊び」を、お岩の鏡を使っての「髪梳き」と比較してみせられたという。ワクワク、ゾクゾクしてしまった。こんな講義を聴きたい!

木ノ下さんからも、フロアからも翻訳についての質問が。以前に中村真一郎氏が訳した『繻子の靴』をどう思うかという質問。渡邉さんが「赤坂生まれの赤坂育ち」だと、これで初めて知った。つまりチャキチャキの江戸っ子。幼少の頃から歌舞伎、新派に慣れ親しんで育ったことの自負。演劇といえばそういう日本の伝統演劇を意味していた経歴。なんか、しみじみと納得。のちの観世寿夫たちとの「冥の会」設立やら、三島由紀夫との浅からぬ繋がりが腑に落ちた。渡邉守章氏といえばフランス演劇と思い込んでいたので、これは意外だった。

「和/洋」の実験的演出に携わって来られた豊かな経験。それをその類稀なる感性に乗せて結晶させた12月の『繻子の靴』上演。今の演劇に一石を投じることは間違いないだろう。