雷蔵映画祭では見逃してしまったので、DVDをアマゾンから取り寄せ、先ほど見終わった。
「映画.com」からスタッフ・キャストとストーリーを。
<スタッフ>
監督 三隅研次
脚色 依田義賢
原作 泉鏡花
撮影 武田千吉郎
美術 内藤昭
<キャスト>
お蔦 万里昌代
めの惣 船越英二
妙子 三条魔子
小芳 木暮実千代
河野夫人 水戸光子
酒井俊蔵 千田是也
道子 藤原礼子
菅子 加茂良子
河野英吉 片山明彦
<ストーリー>
帝大教授酒井俊蔵の恩情で立派な教育を受けた早瀬主税は、兄妹のようにして育った酒井の娘妙子が自分に恋をよせているのを知り、これを受けては義理ある先生にすまぬと、酒井家を出た。そして魚屋めの惣の世話で、かねてから恋仲だった柳橋の芸者お蔦と、先生には内証で世帯を持った。かつての酒井先生の情人で、妙子の実の母であるお蔦の姉芸者小芳は、身分違いの恋の不幸を主税に説くが、主税は、芸者を妻にするのが出世の妨げなら出世せぬまで-と、初志を変えない。ところが、ふとしたことで主悦に恨みを持つ、静岡の権勢家の息子で同窓の河野英吉は、さまざまな策動をして主税をスキャンダルにまきこみ、さらにお蔦のことを酒井先生に告げて処分を迫った。酒井は主税をかばいつつも、お蔦とは別れさせるといわざるを得ない。酒井から、俺か女かどちらかを選べと迫られ、主税はやむなくお蔦と別れることを決心し、散歩にことよせてお蔦を湯島境内へさそった。思いもかけぬ別れ話にお蔦は歎き悲しむが、ついに得心して身を引くことを承知した。そして、髪結いをしているめの惣の家内のところで、すき手として働くことになった。河野の卑劣な行為を怒った主税はめの惣から、河野の当主の夫人がお抱えの御者と密通し、子までなしたいきさつを知り、この事実をもって復讐しようと、静岡へ去った。河野一家に接近してドイツ語私塾をひらいた主税に、政略結婚で河野家の不幸な娘はぐんぐんひかれてきた。その娘に、主税は母親の秘密を暴露する。それを立聞きした夫人の銃弾で、主税は重傷を負い、病床の人となった。一方、お蔦は風邪をこじらせて死の床にあった。たまたま訪ねた妙子の連絡で酒井も駈けつけた。酒井の命令で、めの惣が静岡に飛ぶが、主税は帰らない。「芸者にも真実な女がいますよ」と、お蔦は酒井に訴えて息絶えた。ようやく傷のいえた主税は、河野家の当主が夫人を射殺した日、東京へ帰った。今は亡きお蔦との思い出深い湯島天神にたたずむ主税の背に、梅の花が散った。
加えて雷蔵ファンのサイト(「RAIZO」ネット) からの作品解説を以下に。
目に浮かんだ影二つ-恋に泣いてるあで姿-白梅の匂うがごとき、この純愛の清らかさ、美しさ-この婦系図はご存知、お蔦、主税の悲恋を市川雷蔵、万里昌代のコンビで描いた豪華大作。原作は艶麗な作風をもって知られる明治の文豪、泉鏡花一代の人気小説であるが、この作品は明治40年の原作発表以来、新派の舞台にスクリーンに、幾度となく、天下のファンの紅涙をしぼり、篇中の有名なセリフは、「金色夜叉」などと並んで、広く人口に膾炙しているいるほどだが、今までの映画作品でも第一回以来、岡譲二・田中絹代、長谷川一夫・山田五十鈴、鶴田浩二・山本富士子、と当時人気最高の大スターたちが、お蔦主税の各コンビを組んで数々の名作を残している。
それだけにこの映画化に際しては、市川雷蔵・万里昌代のコンビが如何にこれらの先輩たちの名演技に迫り、また、新しい典型を作るかその成果が注目されるところだ。
メガホンを取るのは、三隅研次監督。この映画化にあたっては。つぶさに原作を検討、従来の作品における情緒中心主義を排して、原作に忠実に、下町っ子であるお蔦、主税の山手(名利を重んじる世俗)に対する反抗精神にポイントを置き、従来、あまり世間に知られていない題名の「婦系図」の意味をこの作品で初めて明らかにしたいと意欲を燃やし、依田義賢の思い通りのシナリオを得ているだけに大いに魅力篇が期待できるわけだ。
キャストは、主税に市川雷蔵、お蔦に万里昌代、妙子に三条魔子、めの惣に船越英二、酒井教授に千田是也、小芳に木暮実千代のほか、水戸光子、片山明彦、石黒達也、上田吉二郎と豪華な顔ぶれを揃え、過去の作品に負けない情緒豊かな格調高い作品となっている。
新派的なお涙頂戴芝居だと想像していた『婦系図』、それが意外なことにベタベタ感のない作品だった。新派の舞台も、この映画以前の映画作品も見ていないので断定はできないのではあるけれど、少なくとも三隅研次監督、依田義賢脚本、そして市川雷蔵主演のこの作品は従来のものとはかなり違った出来になっていたはずである。
上の「RAIZO」の解説にあるように、「従来の作品における情緒中心主義を排して、原作に忠実に、下町っ子であるお蔦、主税の山手(名利を重んじる世俗)に対する反抗精神にポイントを置」いた作品と断言できる。もちろん感傷的な場面、セリフはないわけではないけれど(原作を否定するのは無理なので)、それらを一旦エポケーして再構築させる試みがそこかしこに見られる。湯島天神のあの有名な白梅の「情緒的シーン」は、情緒にのめり込みそこに溺れるのを排し、どちらかというと「階級闘争」的なニュアンスで捉える試みがさているように感じた。戦後の映画界の労働争議の余波というか影響を感じ取るのは読み込み過ぎだろうか?情緒と社会背景との拮抗は、一定のバランスを保たされて示されている。この微妙な加減が現代的で新しい感じがする。新派作品の新解釈とでも言おうか。
とはいえ、原作とはかなりのズレや摩擦が否応なく発生しているわけで、それを映像美でカバーしているといえるかもしれない。カメラがいい仕事をしている。どの場面も惚れ惚れするほど美しい。
もちろんそれらの場面、場面でもっとも輝いているのは雷蔵である。『破戒』や『炎上』の時と違って、思いっきりメイクを施している。美しさをいや増している雷蔵の顔。特に眼。でも何か少し不吉さを感じてしまった。美男でなくてはならない早瀬主税。主税になりきるため、徹底的にその顔、姿にこだわった雷蔵。その思いつめ方がどこか不吉な感じがしてしまう。
原作とのズレをもっとも体現していたのはもっとも美しかった雷蔵だった。
もちろんお蔦役の万里昌代も美しい。今までにお蔦を演じた女優よりもグッと現代的な美貌である。柳橋芸者の気風の良さも十分すぎるほどに表現していた。でも不吉さはない。雷蔵の凄惨な横顔と比べると、ごくごく普通の美人である。お蔦が亡くなって、「一人静岡の地でそのお蔦を偲びつつ白梅を眺める主税」で映画は終わるのだけれど、悲劇の衣はこの雷蔵により強く纏わりついているような感があった。