yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

長谷川伸作品の構成の緻密さ

『長谷川伸傑作選』中の『一本刀土俵入』を読み返し、茂兵衛がお蔦に向かって、「わしは、故郷のお母さんのお墓の前で横綱の土俵入りをして見せたいんだ、そうしたら、もう、わしは良いんだ」という箇所で、図らずも泣いてしまった。芝居では泣くところまでは行かなかったのに。

直前の行で、お蔦の「おっかさんだけいるんだね」という問いに茂兵衛が「ああ、居るよ。駒形の上広瀬川が見える処に」と答える。お蔦が、「なあんだ、家があるんじゃないか」というと、茂兵衛、「なあに、そこは、お墓さ」。このやりとりの後の茂兵衛の、「土俵入りを母の墓前でしたい」という台詞は強烈だった。

土俵入りを母の墓の前でするのが茂兵衛の宿年の願いだったのが、この「出逢い」をきっかけに、その対象はお蔦になった。お蔦と亡き母との一体化が、ごく自然に起こった瞬間である。もっと深読みをすれば、茂兵衛の母への慕情がお蔦へのものへと替わったのだ。

長谷川伸の作品に深く影を落としているのが、この母への慕情である。それは何人かの人がいっているように、幼い頃母と生き別れになったという彼自身の生い立ちから来ているのだろう。

茂兵衛とお蔦が出逢った10年後、茂兵衛は再び取手の宿、我孫子にやってきてお蔦を探す。横綱になる夢破れ、今は渡世に生きている。お蔦は十歳になった娘お君と飴売りをしながら、宿の外れで細々と暮らしている。この箇所、原作を読んで、芝居中に納得できなかった謎がやっと解けた。不思議だったのはお蔦が茂兵衛との出逢いの後、どうやって子供ができたのかということだった。芝居では端折られているが、最初の場面でお蔦にはすでに乳飲み子の子供がいたのだ。茂兵衛がお蔦と別れて利根の渡し場に来たとき、子守娘に出くわすのだが、その娘が背負っていた子こそ、お蔦の子供だった。子までなした辰三郎はイカサマ博打でヤクザ仲間に追われていたため行方知れず、彼女が一人で育てることになったのだ。

茂兵衛はお蔦とやっと再会することができた。そこへ娘の父である辰三郎が帰ってくる。十年ぶりの帰還である。お蔦、娘のお君、そして辰三郎を裏口から逃がし、茂兵衛はただ一人、辰三郎をつけねらってやって来た男たちと闘う。

信義に篤く、「弱きを助け、強気を挫く」この茂兵衛の姿は、股旅ものの「理想のヒーロー」像だろう。『瞼の母』とも共通点が多々あるが、中でも作品中のヒーロー像の近似性に驚かざるを得ない。ヒーローではあっても、歌舞伎の荒事のそれのように圧倒的強さを誇示するヒーローではない。むしろどこかに烙印を押された、つまり人間的弱さを持った者として描かれている。悩むヒーローなのだ。そういうヒーロー像の造型がきわめてモダンである。このような長谷川伸好みの人物に、日本人がすでに失ってしまった旧き、良き価値観を見いだそうとする批評書がいくつかある。以下がその一部である。

義理と人情―長谷川伸と日本人のこころ (新潮選書) 山折 哲雄 単行本
長谷川伸はこう読め!: メリケン波止場の沓掛時次郎 平岡 正明 単行本
長谷川伸論―義理人情とはなにか (岩波現代文庫) 佐藤 忠男

思わず声を出した箇所がもう一カ所ある。それは「お蔦が子供を一人育てている」と旅先で聞いた辰三郎が、取手に帰ってくるという行である。彼は「女郎だから義理も人情もあるはずがない」と、お蔦をまったく信用していなかった。その彼がお蔦の操の立て方に、あらためて恋しさが募り、危険を承知で帰還する。これは『暗闇の丑松』の丑松の帰還の理由とほぼ同じなのだ。だからこの行に当たれば、即それは長谷川伸作品と判ってしまう。ここにも、長谷川伸自身の生き別れた母への思慕が反映しているように思える。その思慕にはどこか恋人を求めるエロチシズムが潜んでいるというのは深読みし過ぎだろうか。