yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

(初代尾上)辰之助の斧定九郎が傑出していた「山崎街道鉄砲渡しの場」(『假名手本忠臣蔵』昭和61年10月於国立劇場)in「公演記録鑑賞会」@国立文楽劇場小ホール

ほんの数分の出番だったのに、圧倒的な存在感だった尾上辰之助の斧定九郎。歌舞伎での彼を見るのは初めてだったので、これは衝撃だった。白塗りのいわゆる色悪の化粧に黒い着物。いかにも「ワル」という感じ。凄みが際立っていた。

演技という演技はなく、ただ積み上げた稲束(稲塚)の奥からヌッと出て、懐中に大金を持った与市兵衛(お軽の父)を殺す残酷な男を演じている。情のかけらも見せず、あまりにもあっけなく殺すところが、ただ凄まじい。でも、色っぽいんですよね、その風情が。そして何よりも現代的だった。このいかにも古色の横溢する歌舞伎劇の中で、彼だけがその身体の現代性、若さで屹立していた。 

『假名手本忠臣蔵』の中でも人情劇になっている五段目、六段目。演者たちも勘平に十七世勘三郎(77歳)、お軽に七世梅幸(71歳)と「古い」役者が揃う。その中で辰之助はまるで異質な身体を提出、この違和感が半端なかった。とはいえ、おそらく彼はその違和感を意識して出していたのだと思う。彼自身の立ち位置が旧歌舞伎とは一線を画しているものの、やはり歌舞伎という宇宙に居ることを。もし彼がこの翌年に亡くなったりしなかったら、当時の勘九郎(後の18世勘三郎)の良き先輩になったのではないか。そんなせんない想像をしてしまう。新しい息吹を吹き込んだにちがいない。 

当時の菊之助(現菊五郎)、新之助(十二世團十郎)と合わせて「三之助」と呼ばれたとか。同じ音羽屋の菊五郎も素晴らしいけれど、辰之助は違ったタイプである。菊五郎が女方から立ちへ移行したのに対し、辰之助はずっと存命であっても立ち一本だっただろう。持ちニンが異なっている。

ここまで魅力的な役者、人は放っておかないと思ったら、やはりyoutubeに映像がいくつもアップされていた。惜しまれて逝ってしまったのですね。でも映像が残っているのはありがたい。『番町皿屋敷』の青山播磨を演じている映像を見てみたら、やはり魅力的である。ただ、『假名手本忠臣蔵』の時より若い。だから、これから思う存分そのニンにあった役を演じていくというところで、亡くなってしまったのが、悔やまれる。

さて、この「公演記録鑑賞会」で見た『假名手本忠臣蔵』の五段目(山崎街道鉄砲渡しの場)、六段目(与市兵衛内勘平腹切の場)は、名役者揃い。演者一覧は以下である。

早野勘平 = 中村勘三郎(17代目)  

女房お軽 = 尾上梅幸(7代目)   

斧定九郎 = 尾上辰之助(初代)   

一文字屋お才 = 澤村藤十郎(2代目)

原郷右衛門 = 市村羽左衛門(17代目)

千崎弥五郎 = 片岡我當(5代目)

判人源六 = 市川子團次(2代目)

母おかや = 中村又五郎(2代目)

百姓与市兵衛 = 岩井貴三郎(2代目)

猟師めっぽう弥八 = 中村四郎五郎(7代目)

猟師種ヶ島の六蔵 = 尾上松太郎(2代目)

猟師狸の角兵衛 = 中村仲助

駕かき = 中村仲太郎

駕かき = 国次

 

勘三郎の勘平は最初やはり老齢だと思っていたら、なんのなんの、すごい色気で縦横無尽に動き回るのに感心した。色気では息子の十八世勘三郎も突出していたけれど、父の方はそれを上回っていた。以前にDVDで見た『一本刀土俵入り』の茂兵衛にも感心したけれど、この勘平にも脱帽。ちなみにこのときの相手役、お蔦は六世歌右衛門。

また、お軽の母、おかやを演じたのは、二世中村又五郎。百姓の妻であり母という武士の価値観と違ったところで生きている。とはいえ、勘平の武士としての矜持を理解している義理の母という難しい役どころ。それを演じて、説得力があった。

勘三郎の勘平は最初やはり老齢だと思っていたら、なんのなんの、すごい色気で縦横無尽に動き回るのに感心した。色気では息子の十八世勘三郎も突出していたけれど、父の方はそれを上回っていた。以前にDVDで見た『一本刀土俵入り』の茂兵衛にも感心したけれど、この勘平にも脱帽。ちなみにこのときの相手役、お蔦は六世歌右衛門。

また、お軽の母、おかやを演じたのは、二世中村又五郎。百姓の妻であり母という武士の価値観と違ったところで生きている老齢の女性。とはいえ、勘平の武士としての矜持を理解している。この難しい役どころを演じて、説得力があった。池波正太郎が彼のために『剣客商売』の秋山小兵衛を設定したのは、あまりにも有名。「人間国宝」になられていたんですね。