五段目 山崎街道鉄砲渡しの場
同 二つ玉の場
六段目 与市兵衛内勘平腹切の場
<配役>
早野勘平 尾上 松也
おかる 中村 児太郎
千崎弥五郎 中村 隼人
母おかや 中村 芝喜松
百姓与市兵衛 澤村 大蔵
判人源六 中村 蝶十郎
一文字屋お才 中村 歌女之丞
斧定九郎 坂東 巳之助
不破数右衛門 中村 歌昇<みどころ>
三大名作の一つ『仮名手本忠臣蔵』から。全十一段のうち今回上演されるのは、五段目と六段目。討入りに加わることを願う早野勘平と妻おかるの悲話を中心とした物語で、勘平腹切の場面は名せりふと洗練された演出が哀切を極める名場面です。
『仮名手本忠臣蔵』ほど断片的に演じられる狂言はないだろう。もちろん十一段全部を通しでみるとすると一日仕事。それも江戸時代の文字通り朝から晩遅くまでの一日。現代の時間に直すと丸二日になるだろう。以前に文楽で「通し」で観たが、これも間を端折ったものだった。だから、歌舞伎での五段目、六段目を観るのは初めて。松也は意図的にこの続きの第五、六段を選んだような気がする。この『仮名手本』外伝とでもいうべき勘平とおかるの悲劇は、ある意味現代的で、本狂言の仇討ちという大テーマを外れている。もっと生々しく、人間的である。まるで現代のドラマ中の心理合戦をみているような錯覚さえ覚える。多くの人は私と同じで、『仮名手本忠臣蔵』と聞いただけで、古くさい忠義ものの芝居を思い浮かべるだろうけど、この二つの段はずっと現代的である。その点では(これも『仮名手本』外伝の)南北作『四谷怪談』との共通性を感じる。
ただ『四谷怪談』と異なるのは、この悲劇のあと、おかるが重要な「独楽回し」として後の段に登場することだろう。由良之助の亡夫への温情を身にしみて味わったおかるだからこそ、あの「一力茶屋」の段が成立するのだ。「一力茶屋」を単独では何度もみたけれど、もうひとつそのあたりが腑に落ちなかったのも道理である。もっとも昔の人の多くはプロット全部を知っていて、私のように「えっ、なんで?」とも思わなかったのかもしれないけど。
松也はこの勘平をやりたいがために、他の若手を引きずり込んだ(?)のでしょうね。役者として、これほどやりがいがある役はないですものね。初日ということもあり、力が入りすぎたのか、終演が少しオーバー。たしかに見応えがあった。
ワキの全員が手堅かった。おかるの児太郎は健気な感じがよく出ていた。またおかるの母、おかや役の芝喜松が母の心理を描き出して秀逸だった。一文字屋お才役の歌女之丞も女郎屋の女将の雰囲気をよく出していた。数右衛門役の歌昇も若さに似合わない貫禄があった。
で、定九郎役の巳之助。出て来た途端、勘平の玉に当たって死ぬんだけれど、奇妙な存在感があった。あれ、一体なんなの?