yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

玉三郎の追求する美

朝6時過ぎ、イギリスのBBC(BS)、そしてフランス2(Antenne 2)が例の仏週刊誌襲撃犯追尾、射殺のニュースを生々しく伝えていた。二人の犯人はパリ郊外人質を取って立てこもったところを、特殊部隊によって射殺された。人質は無事?だったよう。この二人に同調してパリの食料品店でこれまた人質を取って立てこもった男も射殺されたが、このとき人質4人も犠牲になったという。なんともおぞましい事件。「9.11」を思いだして、気が滅入る。

NHKも7時のニュースでようやくそれを報道。そのあと、「玉三郎特集」番組が!去年歌舞伎座で録画したインタビューと彼の稽古風景を編集したものだった。あの恐ろしい映像と玉三郎の美しい世界。この対比に複雑な思い。美しいことばかりで世界が溢れれば、こういう暴力、殺戮などは起きないのだろうけど。

NHKの編集は、さすが民放の「垂れ流しバラエティ」と違い、きちんとしたものだった。先月(2014年12月)の歌舞伎座での玉三郎の公演を特集。玉三郎の現在とこれからをコンパクトにまとめていた。彼自身の舞台ではなく、彼が演出した『幻武蔵』の稽古風景を映していた。この演目については、去年のブログ記事にしている

主役二人——獅童と松也——は玉三郎の指名、抜擢である。12月の半ば(?)もうすでに12月公演が始まっているのに、まだまだ不満なところがあると、よりよく修正しようとする玉三郎。獅童も松也もそれにつきあっての稽古。私が歌舞伎座でこの演目を観たのは24日だったので、かなり玉三郎の理想に近い、完成された形をみることができたのかもしれない。他の役者たちも、もちろん一緒である。松也は「玉三郎兄さん」と呼んでいた。玉三郎の年齢からは「おじさん」になっても当然なのに、「兄さん」とよぶのは玉三郎の希望?松也が女形をやっていたことが生きる役、富姫(実は小刑部明神)を演じたのだけど、松也がここまで複雑な役ができる人だとこのとき初めて確認した。玉三郎の目は確かだった。彼に伸びしろをみていたのだろう。一方の獅童は殺陣に切れがなくて、かなりがっかりした。そこそこはがんばったんだとは思うんだけど、松也のがんばりには負けていた。他の立ち役者の方がよかったかもしれない。

で、何にいちばん感心したかというと、玉三郎の稽古をつける姿。美しい。二人も、他の役者も木偶の坊にみえてしまうほど。『芸術新潮』の特集号で玉三郎の普段の美しい立ち姿の画像はみているけれど、このように稽古をつけるという動きのある映像でその姿をみるのは、おそらく初めて。ストリートダンサーグループのDAZZLEと組んだ新しいパフォーマンス、『パラーレ』をこの3月に公開するらしいが、その稽古風景も映っていた。ここでもダンサーよりも玉三郎の動きの方が断然美しい!まるでバレエダンサー。それもエトワール級の人を超える美しさ。感服しました!

アナウンサーが玉三郎の歌舞伎座楽屋を訪ねて、インタビューする映像が付いていた。新しい歌舞伎を追求する玉三郎に今の思いをインタビュワーが聞いていた。「毎日毎日を精一杯やって来て、今になった。演技というのは細かいことの積み重ね」だと答える玉三郎。演出について聞かれ、「人に稽古をつける場合でも一緒に生活した方がいい。こういう演技のとき、どこに視線があるのか、どう身体をもっていっているのか、こういう細かいことがおのずと相手に伝わるから」。深く納得した。彼の演技のありようが少しは分かった気もした。なぜそこまで追求するのかを聴かれた玉三郎、答えて、「美しいものをみていたいから」!

飽くことなく、倦むことなく「美」を追求し続ける玉三郎だから、「おじさん」という域には永遠に達しないだろう。でも彼の薫陶を受けた人たちの身体に、そしてこころに、「玉三郎兄さんの美しい姿」として残るに違いない。