「2018-2019シーズン」の最終作品。さすがに見応えがあった。というか、ありすぎて、終わってからも座席をしばらく立てなかった。他の観客の方々も同じ思いだったようである。終幕にかけては涙が止まらなかった。横の方も泣いておられた。ネットのサイトがあるのでリンクしておく。
そこに載っていた「概要」、「プロダクション」、及び「あらすじ」。
フランス革命に翻弄された修道女たちの生と死! プーランクの透徹した音楽がえぐる衝撃の史実!
人間とは何か、信仰とは何か、生きるとは、死ぬとはどういうことか…フランス革命末期の暴力の嵐に巻き込まれた修道女たちの実話が、20世紀フランスの俊才プーランクの鮮やかな音楽で感動的なオペラへと生まれ変わった!MET新音楽監督ネゼ=セガンの渾身の指揮に応えるのは、ベテランのK・マッティラから旬を迎えたI・レナードまで粒よりの歌手陣。言葉を、魂を奪われる衝撃のラストが、あなたの人生を変える。オペラは、ここまで、できるのだ。
指揮:ヤニック・ネゼ=セガン
演出:ジョン・デクスター
出演:
イザベル・レナード ブランシュ・ド・ラ・フォルス
カリタ・マッティラ 前修道院長 クロワシー夫人
エイドリアン・ピエチョンカ 新修道院長 リドワーヌ夫人
エリン・モーリー コンスタンス(ブランシュの親友)
カレン・カーギル マリー修道女長
ジャン=フランソワ・ラポワント ド・ラ・フォルス侯爵(ブランシュの父)
デイヴィッド・ポルティッヨ ド・ラ・フォルス子爵(ブランシュの兄)
上映時間:
3時間17分(休憩1回)
MET上演日:
2019年5月11日
言語:
フランス語
18世紀末、フランス革命の激動に揺れるパリ。ド・ラ・フォルス侯爵家の娘ブランシュは、極端に神経質なため俗世間では生きていけないと、コンピエーニュにあるカルメル会の修道院に入る。だが革命政府は修道院の解散と建物の売却を決め、司祭も追放された。修道女たちは殉教を決意するが、怯えたブランシュは修道院から逃げ出す。潜伏してひそかに信仰を守っていた修道女たちは捕らえられ、死刑の宣告を受けた。ひとりひとり断頭台に上る修道女たち。その時、群衆のなかからブランシュが現れる。
重い作品である。概要にあるように、人間とは何か、信仰とは何か、殉教は可能なのか、といった主題が盛り込まれていて、それをなぞるだけでもかなり疲れる。しかもその掘り下げ方が通り一遍のものでない。それらの一つでも一筋縄では行かない主題だから、全体の統一というか、一体感がないと薄っぺらくなってしまう。歌手一人一人が歌唱力のみならず、役者として、もっというなら人間として高い能力を持っていないとあてがわれた役を描ききれない。その点で、出演者全員が満点だった。凄みがあった。同時にこんな役をやった後は、疲労困憊の極みだろうと同情してしまった。でも観る側からいえば、なにものにも代えがたい体験をさせてもらった。
帰宅してから、疲れがどっと出た。悲劇だからというのではなく、彼女たちに自身をアイデンティファイせざるを得なかったからだろう。16人の修道女はそれぞれに個性的に描かれていて、その誰かに、あるいは全員に自身を重ねることができた。だから、最後の断頭台の刑場に神の栄光を讃えるかのごとく両手を大きくあげ、怯むことなく、微笑を浮かべながら進んでゆく姿は感動的である。美しいと同時に悲しい。そして虚しい。断頭の音が鳴るたびに、こちらの身に鎌が打ち込まれたような衝撃があった。それが16回!ズタズタになってしまった。
「人民主権」という理想を掲げ、王政を倒したことで賞賛されるフランス革命。しかし内実はそんな純粋で美しいものではなく、階級間の対立が生み出した闘争だった。また、下克上の流れから、貴族たち上流階級(特権階級)は問答無用でギロチンにかけられた。修道院も「特権階級」ということで、平民たちの暴力の餌食になってしまった。
この作品舞台になった「カルメル会」という修道院は実在したという。Wikiに当たってみたところ、「『コンピエーニュの16修道女殉教者』フランス革命下で処刑される」という記載があった。日本にも「カルメル会修道院」が存在する。時の外交官であったあのポール・クローデルの提案の元に、1933年最初の修道院が東京に設立されたのだという。現在、全国にいくつか存在している。
ブランシュを演じた主演のイザベル・レナードはメゾソプラノ。常に自分に自信がないのだけれど、それも繊細さの故という役どころ。揺れ動く心を描いて秀逸だった。親友のコンスタンスを演じたエリン・モーリーはそれとは対照的に外交的な明るい性格。無邪気というか天真爛漫な様をソプラノでうたいあげていた。この二人が主演ということが、このオペラの成功に一役買っていたと思う。
そして病を得て、呻吟しながら亡くなる修道院長の臨終の様を赤裸々に描いたカリタ・マッティラの功績は褒めても褒め過ぎることはないだろう。対する新修道院長はエイドリアン・ピエチョンカ。肝っ玉の座った指導力のある院長を見事に演じていた。あの微笑みが素敵だった。彼女が最初に刑場に向かって行くのだけれど、涙なしではみられなかった。彼女の補佐役に徹していたマリー修道女役のカレン・カーギルの演技もこの二人に負けていなかった。それぞれの性格、そして信仰感の違いが演じ分けられていて、唸った。
重い作品であることは観る前から分かっていたので、ためらわれたのだけれど、みておいて、良かった。今までに見てきたシネマ版を含めたオペラの中で、ベルリンのシラー劇場で見たヤナーチェックの『死者の家から』と同じぐらい形而上学的だった。それをここまで形而上色を抑えてオペラに仕立てた演出のジョン・デクスターと音楽担当のヤニック・ネゼ=セガンの功績だろう。