yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

橋本擴三郎師シテの能『熊坂 替之型』in 「井上定期能 六月公演」@京都観世会館6月15日

一昨年のちょうど6月にも橋本擴三郎師シテの能を見て記事にしている。

演目は『邯鄲』だった。

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その舞台も良かったけれど、この日の『熊坂』も良かった。演者一覧は以下。

シテ(赤坂宿の僧・熊坂長範の霊)橋本擴三郎 

ワキ(旅の僧)       岡充 

アイ(土地の男)      鈴木実
笛             森田保美 

小鼓            林大輝 

大鼓            渡部諭 

太鼓            前川光範

 

後見   井上裕久  寺澤幸祐

地謡   寺澤拓海  谷弘之助  大江広祐  吉田篤史

     浦部幸裕  勝部延和  橋本光史  浅井通昭

例によって、銕仙会の能楽事典からこの曲概要解説をお借りする。

旅の僧(ワキ)が美濃国赤坂宿にさしかかると、一人の僧(前シテ)が呼び止め、今日はある人物の命日なので弔ってくれと頼む。彼の庵室へと案内された旅の僧が目にしたのは、所狭しと並べられた武具の山。彼は、この辺りには盗賊が出るのでその対策だと教えると、旅の僧に休むように言い、自らも寝室に入ってゆく。その刹那、庵室はたちまち消え失せてしまうのだった。

土地の男(アイ)から、かつてこの地を騒がせた大盗賊・熊坂長範の故事を教えられた旅の僧は、先刻の僧こそ長範の霊だと気づく。やがて旅の僧が弔っていると、長範の亡霊(後シテ)が現れ、今なお略奪に生きた生前の妄執に囚われつづけていることを明かす。長範は、三条吉次の一行を襲撃したところ牛若丸によって返り討ちに遭ったことを語り、最期の様子を再現して見せるのだった。

中入りの後に登場するアイがワキと会話するのが珍しかった。今まで見てきた能の中では、アイは前場のシテの正体を明かし、その背景をよそからやってきた者(旅の僧)に語って聞かせる役目のことが多かった。この『熊坂』では、それをもう一歩踏み込んで、会話にすることで過去の出来事がより現在に近くなる効果を生んでいる。アイが単なる過去の物語の「語り部」ではなく、今現在、その物語の渦中に居ることを示している。それによって彼にアイデンティファイする観客も、物語の中に一層のめり込みやすくなるという効果を生んでいる。鈴木実師のアイはその辺りをしっかりと踏まえた上で、ワキと対峙されていた。現代的身体の持ち主だと感じた。 

シテの橋本擴三郎の演技は非常に格調高いものだった。演じられたのは単なる盗賊であり、およそ高貴さとは程遠い熊坂長範。でも、旅の僧に回向を頼むところからして、根っからの悪党とは思えない。何か事情があって、その世界に入らざるを得なかった人。そして、牛若丸と戦ったことをどこか自慢に思っている可愛げのある盗賊。大悪党ではないんですよね。 

実際には登場していない牛若丸の動きに合わせて、橋本擴三郎師のシテはさまざまな戦いぶりを見せる。立ったり座ったり、かなり激しい動きにも動じることなく、完璧に演じきられた。声から年配でいらっしゃると想像したので、これは意外だった(失礼!)。どの所作も(多少スピード感に欠けはしたものの)綺麗に決まっていた。安定感があった。

林大輝師の小鼓を聴くのは久しぶり。二年前の「お囃子Labo」でお兄様の大和さんと華麗な連鼓を見せていただいたのが、昨日のことのようである。 

そして、前川光範師の太鼓!掛け声の勇ましさと雄々しさ、それとパッショネイトな太鼓の音にやられた!いつものことなんですけどね。すばらしいの一言。

地謡方は井上裕久師系統の方々だと思われる。謡が京都観世のものとは少し違っている気がした。