先日、大盗賊、熊坂長範が牛若丸に討たれるという内容の能『熊坂』を見たのだけれど、その舞台が美濃国赤坂宿であり、能『朝長』の舞台となった美濃国青墓とは非常に近く、車だと6、7分であることを知った。ソースは『日本芸能史2 古代—中世』(法政大学出版)。
両地共に「平治の乱」に敗れた源義朝の逃避行の土地である。さらには、牛若丸元服と熊坂長範を扱った能『烏帽子折』の後場は、赤坂宿が舞台になっている。青墓で亡くなった義朝の次男朝長の死については、自害したという能バージョンと、義朝に殺されたという説とがある。
一方、説経節に目を転じると、『小栗判官』の照手姫が仕えるのは青墓の長であり、こちらも美濃のこの辺りにゆかりが深い。そういえば、三代目猿之助と梅原猛氏の手になる『スーパー歌舞伎 オグリ』の刷新版が9月に京都南座にかかるのだった。これは以前に見て、記事にしているので、感慨深い。
この青墓の地は後白河院に今様を授けた乙前の出身地でもあった。これら美濃の地が、それまでは宗教に紐付けだった芸能から一歩進み、「民間芸能として専業化」していったという、芸能史的に大きな意味を持つところであったことがわかる。後世、能がこの地に因んだ演目を多く輩出したのは、この地が芸能者とは切ってもきれない縁があったからだろう。(『日本芸能史2 古代—中世』156-162ページ)
この『日本芸能史2 古代—中世』 によると、美濃には傀儡師集団があったという。中世芸能の発生、発達を考えるとき、この地は大きな意味を持つ土地だった。しかも、今様の時代は白拍子の時代でもあったという。『平家物語』に出てくる祇王と仏御前との挿話から、白拍子が当時いかにもてはやされていたかを、うかがい知ることができる。また、芸能者と天皇との繋がりも見えてくるように思う。