yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

ストラホフ修道院には少々失望

11時から国立オペラ劇場で『眠れる森の美女』をみたあと、そのまま昨日からの宿題、ストラホフ修道院を訪ねてきた。修道院そのものではなく、こちらの図書室がすばらしいとのことだったので、あのエーコの『薔薇の名前』の映画に出てくる薄暗い、カビ臭い、そして歴史の重みにつぶされそうな中世からの図書室を想像していたのだが、それは見事に覆えされた。いちばんがっかりしたのは、図書室内部に入れないことだった。哲学の間と神学の間と二つのメジャーな部屋があるのだが、どちらも入室できなかった。写真は50コルナ払えば撮影可能だったので代金を払って撮ったが、フラッシュ禁止ということで、巧く撮れているかどうかパソコンにあげるまで分からない。説明は裏表になった簡単なファイルを「貸して」くれるだけで、それは入り口で返さなくてはならないのに、唖然とした。

その説明には「考古学的インタレスト」として色々なものが展示してあるとのことだったけど、いさかか子供だましのような展示物が入り口付近にあるだけだった。これなら同じくプラハにある博物館にもっとグレードの高いものがありましたよ。修道院個人が所蔵するというところに意味があるのかもしれないのだけど、これは「余計」である。

ホテルに帰ってきて、先ほど英語サイトで「strahov monastery」で検索をかけ、Wiki情報を得た。図書室で貸してもらったファイルにもあったけれど、17世紀に神学者であり哲学者でもあったJeroným HirnheimがAbbotになってから、図書室を新しく作り、充実させたとのことである。修道院自体は12世紀創立なので中世創立といえるが、図書室やその蔵書は中世のものではない。この点がエーコの『薔薇の名前』の図書室との大きな違いである。

古色蒼然とした図書室なら、ペンシルバニア大学にも、またハーバード大学、イェール大学にもあったなんて、思ってしまった。それらの方が、「中世的」でブッキッシュな興味をかき立てるものだった。先ほど挙げた博物館にしても、例えばNYのそれと比べるとどこか「俄作り」のような感があり、充実度ははるかに及ばなかった。もちろん日本の東京、京都にある博物館と比べても見劣りがしたのだけれど、そこにチェコが長くドイツ、ソ連の支配下にあった歴史を重ねると、いちがいに「なんだ、これは」とはいえないだろう。

写真を以下に載せる。
エントランスの門

修道院の外観

哲学の間

神学の間


ストラホフ修道院の近くの街並


この修道院はプラハ城傍の坂の上なので、プラハ市街が見渡せる高台になっている。ちょっとピンぼけだけれど建物の間からのぞく市街