yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

敬宮愛子さま学習院初等科卒業時の文集に寄稿された論の秀逸、学者の片鱗が窺える!

敬宮愛子さまの神童ぶりがよくわかるエピソード。さすが陛下と雅子さまのお子様。深く納得。そしてうれしい。というのも先日、愛子さまの進学先が学習院大学日本語日本文学科と発表されたから。

初等科文集への愛子さまの寄稿、それをレポートしているのが例の『女性自身』」であるのが笑えるが、内容は確かなもの。2014年3月18日 0時0分 の記事。以下にリンクしておく。記事内容をその下にアップしておく。

3月18日に学習院初等科を卒業される愛子さま。その4日前、修了式が行われた14日には全校生徒に文集『小ざくら』が配られた。年に1回発行される文集には、作文や詩、工作、自由研究など優秀な作品が選ばれて掲載される。

今回は、夏休みに書かれたという愛子さまの歴史研究レポートが4ページにわたって掲載されていた。タイトルは『藤原道長』――。
藤原道長は平安時代中期に摂政などとして権力をふるった貴族。だが、なぜ道長をテーマに選ばれたのか。愛子さまはレポートにこう書かれている。

《授業で藤原道長について学習している時に、「御堂関白記」に少し触れ、また、学習する前にも新聞で「御堂関白記」がユネスコの記憶遺産に登録されたという記事を見たので、一度実物を見てみたいと思った。それで、夏休みに、東京国立博物館で開催された特別展「和様の書」に行き、「御堂関白記」を見て、これほど古い日記がよく残っているものだと驚いた。そこで、この日記を書いた藤原道長について詳しく知りたいと思い、調べることにした》

このレポートでは、天皇の結婚についても綴られている。

《藤原氏は、自分の娘を天皇のきさきとして、外戚関係を築くことにより、勢力を伸ばしていった。その中でも、藤原道長は4人の娘を天皇と結婚させ、摂政や内覧の座について権力を手中におさめていったことが分かった》

皇室ジャーナリストの松崎敏弥さんは言う。
「内容は非常に論理的で、文章もしっかりされています。昨年秋ごろには、愛子さまの“超秀才ぶり“について複数の週刊誌が報じていますが、まさにそれを裏付けるものですね。
レポート作成には皇太子さまのご指導があったのだと思いますが、参考文献や資料の出典などもきちんと書かれていました。
皇太子ご夫妻は、愛子さまの“皇族教育”にはそれほど積極的ではないのでは、といわれてきました。しかし、実際には愛子さまは、ご自身の置かれた環境や、皇族としての役割について深く考えられるようになられています」。

まず、12歳にしてきちんと出典を明記されるというのに、驚く。学者であるお父上の陛下のご指導はあったにせよ、出典明記が「must」であることを弱冠12歳で理解されていたとは。ただ、脱帽。

作文は藤原道長の『御堂関白記』についてのもの。それも、『御堂関白記』に興味を持たれただけではなく、実際に国立博物館で開催された特別展「和様の書」に出向かれたという。若干12歳にして学者としての必須条件を備えておられる。頭抜けて優秀。将来は優れた学者になられることが、予見される。 

これを読んで、早速図書館から『御堂関白記』三巻(倉本一宏氏の現代語、及び解説付)を借り出して、ざっと目を通した。更に、繁田信一氏の『御堂関白記 藤原道長の日記』を読んだ。おそらくこういう作業を12歳の愛子さまがやっておられただろうと想像しながら。彼女はとんでもない天才ですよ。

特別展「和様の書」に展示されていたのは、道長直筆の日記だったと思われる。国会図書館デジタルコレクションに収蔵されているもののサイトを挙げておく。

こういう古い文献を見て、興味を示す小学生はおそらく皆無だろう。やはり、愛子様はご自身の立場を踏まえた上で、この日記に興味を持たれたのだろうと推察する。そのご自覚の重さに、ことばがない。

『御堂関白記』は歴史的資料として非常に価値があるもの。それと対峙する形で『紫式部日記』がある。こちらは歴史的以上に文学的な価値を持つ。二つをつき合わせると、歴史的背景のみならず、あの『源氏物語』の裏事情までもが、さらにはそういう歴史をも超え出てしまう文学作品の偉大さが見えてくる。聡明な愛子さまはその辺もしっかりと理解した上で、進学先を選択されたのだと思う。

学習院大学日本語日本文学科に進まれるというのは、私のように英文学から日本文学の方に移行した者にとっては、ありがたくうれしいことこの上ない。学者、研究者として一家をなされると予言しておく。どういう研究をされるのか、今から期待でワクワクしてしまう。それを見届けたいと願っている。 

学習院大のサイトを当たってみたら、日本文学、中古・中世の担当教授が新しい批評理論にも明るい方だった。日本古典と西洋理論との混淆。そういう現場に入っていかれるんですね。なんか、すごいことが起こりそう。とても、とても楽しみです。