以下が公式サイトにアップされていた宣伝写真。
スタッフ、出演者、あらすじ情報
言わずと知れたヴェルディの傑作。以下公式サイトからのスタッフ、出演者、あらすじ情報。
指揮:ヤニック・ネゼ=セガン
演出:マイケル・メイヤー
出演:
ヴィオレッタ・ヴァレリー:ディアナ・ダムラウ (ソプラノ)
アルフレード・ジェルモン:フアン・ディエゴ・フローレス(テノール)
ジョルジョ・ジェルモン:クイン・ケルシー(バリトン)
MET上演日:2018年12月15日
言語:イタリア語
<あらすじ>
19世紀(本演出では18世紀)のパリ。高級娼婦のヴィオレッタは、享楽的な生活がたたって肺病を患っていた。そんな彼女に憧れていた田舎出のブルジョワ青年アルフレードは、ヴィオレッタに愛を打ち明け、一緒に暮らそうと申し出る。娼婦の暮らしを捨て、パリ郊外でアルフレードと愛の生活を送るヴィオレッタ。幸せな日々は、アルフレードの父ジェルモンの出現で一変する。ジェルモンは、アルフレードの妹が結婚するから身を引いてほしいと、ヴィオレッタに迫るのだった…。
カタルシス度の高いメロドラマ
オペラでは最も知られた作品のひとつだろう。アレクサンドル・デュマ・フィスの原作とはかなり違ったものになっている。なんでもヴェルディがパリ滞在中に芝居の『椿姫』(La Dame aux camellias)を見て感激、それを基にオペラにしたものらしい。タイトルを変えている。また、主人公たちの名前もマルグリットをヴィオレッタに、またアルマンをアルフレッドに変えている。
さらに、原作のロマン派特有の陰鬱な雰囲気も捨象されている。だから悲劇なのに、カタルシスのあるドラマに仕立てられている。もっともロマンティック度は高め。だから女性の紅涙を絞るのは必至。原作ではマルグリットの屍体を掘り返す場面があり、子供心に鮮烈な印象が残った記憶がある。そういう暗さはオペラ版にはなく「男の父の哀願を受け、身を引く女」という設定に重点が置かれている。ヴェルディらしく、どこまでも明るく華やか。そこに感傷のスパイスをふりかけているので、カタルシスがあるという仕掛け。
ディアナ・ダムラウの歌唱の繊細さとパワー
なんといっても、ディアナ・ダムラウが素晴らしかった。感情の起伏を、微妙な音程、絶妙な強弱の付け方、そしてビブラートで表現。唸った。今まで聴いてきたオペラ歌手の中ではトップの一人。ドイツ出身らしい。声量にまかせて思いっきり派手に歌うというのではなく、かなりコントロールを効かせた歌い方。でもなんともいえない色気がある。 MET好みのディーヴァであるアンナ・ネトレプコ、ソーニャ・ヨンチェヴァのいかにもこれ見よがしの堂々とした歌いぶりとは一線を画している。しかもダムラウは、この二人ほど太くない(失礼!)。太いオペラ歌手に「慣れる」のは、未だに難しいんです。先ほどネット検索をかけたところ、METはヨンチェヴァを「手放した」とか。
「ヨンチェヴァ嫌い」の私は、これで安心してMETシネマ版を見まくれる?さらに、ダムラウは演技力もこの二人の上を行っている気がした。繊細な表現者である。
男性陣の歌唱も素晴らしい
一方のアルフレッド役のフアン・ディエゴ・フローレスはペルー出身らしい。ベルカント唱法を得意とするとか。第一声を聞いた瞬間、ホセ・カレーラスを思い浮かべてしまった。声だけでなく、体軀も似ている。そういえばカレーラスもヴェルディを得意としていましたものね。演技も起伏のつけ方が真の役者。この人も繊細な表現者。
もう一人繊細な表現者が。アルフレッドの父を演じたクイン・ケルシー。この方、なんとハワイ出身。ロイヤルオペラに2016 年にこのアルフレッドの父役でデビューしたとか。堂々とした体格なのに繊細な表現力。魅了された。
音楽監督と舞台監督の連携が生きている
音楽監督がMETデビューのカナダ出身、ヤニック・ネゼ=セガン。まだ四十代。若さが音の隅々にまで行き渡っている。ノリノリでの指揮が素敵だった。ノリノリのあまり、指揮棒を落とす場面も。幕間に入ったインタビュー中、ゲルブMET総裁にからかわれていた。期待の新人音楽監督なんでしょうね。舞台演出のマイケル・メイヤーはトニー賞も獲ったことがあるとのこと。さすがの丁寧な演技指導。結果、舞台隅々にまでイキが充満していた。
この日最も驚いたのは観客数。7、80人といったところか。今までに見たことのない多さ。だから客席にもいつにない活気があって、実際の舞台を一緒に観ている感があった。