yoshiepen’s journal

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日本人心性の基層がどこにあるかを示しているのが大嘗祭であり、秋篠宮の「身の丈発言」は見苦しいのひとこと

新天皇が即位するときに行われる大嘗祭とは何なのか?天皇とはなにものなのか、日本人にとって天皇という存在はどういう存在なのか。大嘗祭にその手がかりがあるのではないか。昨年11月14日の大嘗祭に当たって、多くの日本人はそう考えたと思う。
『大嘗祭』の著者、工藤隆氏は以下のように論を始める。(以下、「はじめに」からの引用)。

 “日本人である私とは何か”、すなわち私自身のアイデンティティ(存在根拠)について考えるときには、“将来日本をこういうふうにしたい”と考える未来からのアイデンティティ、“今どういう社会になっているか”と考える現在からのアイデンティティがある。そして、これら未来と現在からのアイデンティティとは違って、すでに起きてしまった過去像から考える“過去からのアイデンティティ”がある。
 この場合の「過去」は、できる限り本質に近い原型・源にまで遡って把握されたものであることが望ましい。その過去が現代にまで顕著な形で生き続けている場合は、特にそうである。
 そのような意味では、その初期の形成時期がはるか五〇〇年代にまで遡るにもかかわらず、しかも二十一世紀初頭の現代にまで、日本社会の重要な構成要素として存続している天皇制の問題を除外して、日本のアイデンティティを論じることはできない。
<中略>
 この大嘗祭というアニミズム系の呪術的儀礼を組み込んだ天皇位継承儀礼は、六七三年の天武天皇即位のときにその祖型が始まり、次の持統天皇の即位(六九〇年)のときにほぼその主要な構成ができあがったと推定される伝統である。さらに、天皇家の氏神である天照大神を祀っている伊勢神宮も、多くの日本人の敬愛を受けていま現在形で機能している存在であり、伊勢神宮を頂点とする神社文化一般も日常社会に定着している。そのうえ、天皇文化と和歌文化の密接さは誰もが認めるところであり、その和歌文化の源の特に恋歌文化の部分は、日本列島民族(ヤマト族)が長江以南少数民族と共に属した、紀元前以来の歌垣文化圏にその根があったのである。
 しかも、日本人の“過去からのアイデンティティ”の形成に深くかかわっている『古事記』の最も古い層には、長江流域はもちろん、アジア全域の原型的な文化が潜んでいるのだった。
<中略>
 しかも、長江以南諸民族の特徴はアニミズム・シャーマニズム(アニミズムと神話的観念に基づく呪術体系)・神話世界性(人間に関わるすべての現象の本質を、アニミズム的な神々の作り上げた秩序の枠組みの中の物語として象徴化して把握するもの)にあり、これらは日本文化の、縄文・弥生期に発する基層文化と共通である。
 『古事記』、伊勢神宮、和歌文化と同じように大嘗祭の源も、その一部分が歌垣文化圏、照葉樹林文化圏、兄妹始祖神話文化圏に属するものであり、かつ長江流域文化圏及び広く東南アジア稲作文化圏にも属するものであるという本書の視点は、二十一世紀の現代日本にまで伏流水のように流れ続けている日本人心性の基層を浮かび上がらせることであろう。

日本人心性の基層を形成してきた要素の一つが大嘗祭であるというのは、工藤論で裏付けられている。私がとくに興味をひかれたのは、和歌文化がその要素の一つに挙げられていることである。これは国文・国史研究者の間では定説になっているのだろうけれど、日本では国文専門ではなかった私は、アメリカの大学院の授業で初めてこれに出逢い、非常に驚いた。そのことは当ブログ記事(深沢七郎著『風流夢譚』)にしている。
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和歌文化の原点には歌垣があり、この歌垣文化圏は、長江流域から日本列島本州にまで及ぶ照葉樹林文化圏と、また兄妹始祖神話文化とも重なると知って、今更ながら、昔読んだ柳田国男の「妹の力」を思い出した。日本古代史、天皇論を研究対象にした折口信夫が和歌文化の人だったことも思い合わされた。日本人心性の古層と天皇、そして和歌文化が切っても切れないことは、宮中での「歌会始の儀」としてそれが遺っていることに明白だろう。敬宮愛子さまが学習院大学で国文学を専攻されると最初に聞いたとき、将来の天皇としてのご覚悟の現われであるように感じたのも、そういう思いがあったからである。
大嘗祭がいかに重要な儀式であるかを知ったのは小林忍氏の『昭和天皇 最後の侍従日記』によってである。非常に大きな割合が割かれていたのが平成の大嘗祭の記録だった。一連の気の遠くなるような種々の儀式を滞りなく行うのに、天皇のみならず侍従たちが、昼夜の区別なく24時間体制でそれも何日にも渡って尽力する様子が、綿密に記録されていた。責任の重さがひしひしと伝わってきた。ただ、大嘗祭肝心の儀式内容については公になっていない。それは天皇から天皇へと伝えられる秘儀であることはわかった。
令和の大嘗祭、儀式そのものは昨年11月に主たる行事はすんでいる。しかし、付帯的儀式、行事が今年初めまで続いてきていたのに驚いたものである。複雑な上に人を介在させることのできない儀式も多く、極めて特別なものであることが伝わってきた。徳仁天皇陛下が無事にこれら一連の儀式を終えられたことが、どれほど重いことであるのか、日頃こういうことに関心を持たないでいる私のようなものにも響いてきた。小林氏は、大嘗祭に込められた日本人としてのアイデンティティを認識されていたのだろう。
ところがである、秋篠宮が兄上の大嘗祭にいちゃもんを付けた。Nipponn.comに掲載された斉藤勝久氏の記事(2019.11.08)を引用する。

秋篠宮さまが昨年秋の記者会見で「大嘗祭には天皇家の私的生活費の『内廷費』を充てるべきだ。身の丈に合った儀式で行うのが本来の姿」と発言し、一石を投じた。「大嘗祭のために祭場を新設せず、毎年の新嘗祭など宮中祭祀(さいし)を行っている『新嘉殿(しんかでん)』で行い、費用を抑える」とかなり具体的な提案を宮内庁に示されていたことも明らかになった。

「身の丈に合った態度、生活」を誰よりも求められているのは当人の秋篠宮だろう。その図々しさに呆れてしまうし、怒りを覚える。平成の時よりもずっと費用が抑えられたという今回の大嘗祭。
大嘗祭が皇室にとってのみならず日本人にとってどれだけ重要なものであるかは、工藤氏の著書でも明らかである。しかも秘儀に当たるものが数日間続くわけで、天皇としての品格と同時に知性と体力も求められる。秋篠宮にはそのどれも無い。単に嫉妬からくるいちゃもん、「見苦しい!」のひとこと。
この出来損ないに「皇嗣」なんていうわけのわからない身分をあてがうなんて、間違いなく歴代天皇が怒り、天罰が下るだろう。簡単な皇室の儀礼すらも覚えられないと、本人も自白しているくらいである。そうそう、みっともないのはこの人のスピーチはすべて代筆であり、漢字にはルビがふってあるそうである(ネットで画像が出回っている)。なんでもふりがなのない「天照大神」を「テンテルダイシン」と読んだとか。事実なら大恥であり、こんなのを皇族として海外に晒すわけにはゆかない。頭と素行の悪い家族も同様である。