yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

鈴木健一著『天皇と和歌 国見と儀礼の1500年』(講談社新書、2017)

この鈴木健一氏著『天皇と和歌 国見と儀礼の1500年』はとても興味深い。まずこういう(ある意味retrospectiveな)本が、3年前に出版されたということも。今、「天皇」が日本人にとっていかなる意味を持つのか、そしてそのあり方を保証してきた事象の一つが和歌であることを、改めて考えるべきではないだろうか。

私が天皇と和歌とが歴史上、また制度上も密なる関係にあることを知ったのは、John Whittier Treat教授の "Beheaded Emperors and the Absent Figure in Contemporary Japanese" (PMLA, Volume 109, Number 1, January 1994, pp. 100–115 )という論文でだった。ペンシルベニア大学大学院博士課程にいた折、reading assignmentで読んだもの。これについては当ブログ記事にしている。毎年1月に宮中で「歌会始」が開かれ、皇族方と一般公募の和歌が読み上げられるというのは知ってはいたけれど、それがどういう意味を持ったものかなんて、考えたことがなかった。「天皇」と和歌の関係を深沢七郎著『風流夢譚』を手がかりにして論じたこの論文は、色々な意味で衝撃だった。

『万葉集』、それに『古今和歌集』、『新古今和歌集』等の勅撰和歌集が、日本文学史の中で『源氏物語』と並ぶ大きな比重を占めているのは、知ってはいたけれど、文学研究における「序列」にまでそれが及んでいるは知らなかった。英詩などと同じで、「その時代を映す鏡」程度の扱いで考えていた。和歌が外国の詩とはまったく違った立ち位置を持ち続けてきたし、今後もそうであろうことを、改めて思いいたしている。

藤原定家が編んだ「百人一首」の歌の多くが天皇、皇后をはじめとする宮廷関係者なのはなぜか、少し考えればわかることだったんですね。「歌を詠めるだけの教育を受けた人が貴族階級だけだったからだろう」と軽く考えていた浅はかさを

『天皇と和歌 国見と儀礼の1500年』は序章、終章を合わせて7章仕立てになっている。一覧を以下にあげさせていただく。目次内容を俯瞰しただけでも、この本が皇室と絡めて和歌の歴史を論じていることが一目瞭然である。

 

序章  現代の皇室と和歌

  1. 平成の歌会始

  2. 歌会始をめぐる人々

第一章 <愛>という権力−−『万葉集』の時代 

  • 支配者の恋愛と国見
  • 恋の演技と君臣の絆

第二章 血筋の権威と勅撰集—平安時代

  • 漢詩全盛時代の和歌
  • 勅撰集の成立
  • 藤原氏とのしがらみ
  • 院政期の和歌

第三章 武力と対決する和歌—鎌倉・室町時代

  • 後鳥羽天皇の敗北と情熱
  • 「両統迭立」の歌風

第四章 文化を体現する天皇—江戸時代

  • 乱世の古今伝授
  • 後水尾天皇の歌壇改革
  • 霊元天皇と宮廷歌壇の繁栄
  • 尊皇運動と和歌

第五章 <国民国家>を詠む—明治時代以降

  • 戦争を詠む天皇
  • 「歌聖」明治天皇
  • <大元帥>から<象徴天皇>へ

終章 和歌文学の未来へ

『万葉集』冒頭の雄略天皇の歌は恋愛歌のようでいて、実は国見の歌であると、昔古文の時間に習った記憶が。語呂がいいので、暗唱したものである。また天智天皇と天武天皇の額田王をめぐっての恋の鞘当て歌も高校生の頃には興味津々で読んだことも。平安時代の歌は漢詩に押され気味ではあったものの、『源氏』の中での歌(ここでは割愛されて入るけれど)が果たす役割を見る限り、やはり重要な意味を持っていたはず。勅撰和歌集の筆頭を飾る『古今和歌集』の紀貫之の手になる「仮名序」の誇り高さと力強さに圧倒されたことも蘇ってきた。

でも何よりも今最も私の関心対象は『新古今和歌集』であり、そこに見られる三島由紀夫が言うところの「不在の美学」。藤原俊成とその子定家、そして式子内親王などのきらびやかな歌人が展開した幽玄の世界。またそれ以上に、この和歌集編纂を主導した後鳥羽上皇の美的審美眼の確かさ。隠岐に流されても、武士に対する強い抵抗を詠んでいる。「我こそは新島守よ隠岐の海の荒き浪風心して吹け」と。

265年の長きに渡った徳川の時代、中心は武士に移り、皇族、貴族たちは中央舞台からさったものの、それでも文化の中心が自分たちにあると言う矜持。それが古今伝授という形となって義務化、儀式化したのも、ここで知った。

天皇教育、いわゆる帝王学の中に『論語』が入っているのを最近知ったのだけれど、そこに「古今伝授」、つまり『古今』、『新古今』等の和歌集のマンツーマンの伝授が入っているのではないだろうか。加えて、漢詩の学習も。それだけでも膨大な分量の古典を読むことになる。今上陛下はおそらくこれもクリアしておられるのだろう。敬宮愛子さまが日本文学を専攻されるというのも、お父上の背中をご覧になってのことかもしれない。

そうそう、この本の巻末に著者紹介が。鈴木健一氏は現在学習院大学教授である。