一昨日訪ねた図書館で『天皇と和歌』の隣に並んでいた本で、「新古今集」というタームに強く惹かれて借り出した。
『新古今集』に集められた歌の数々、また心敬の連歌論『ささめごと』等に見られる「幽玄」に続く「冷えたる」美の世界が、能の謡の中でどのように受肉化され、能独自の美学を構築しているのか、それが世阿弥、禅竹の美学にどういう形で発展、昇華させられているのかを、ここしばらく考えている。
式子内親王はあの百人一首に納められた「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする」の歌が有名であるけれど、『新古今集』に納められたものは実に49首に及ぶ。「玉の緒」の歌から、厭世気味の女性歌人かと勝手に推察していたのだけれど、実際はまるで違って、きらびやかな才能のオーラをまとった歌人だった。この辺りのことは、本著第二章第三項の「『新古今和歌集』の光輝—稀代の皇女歌人として—」に詳しい。『新古今和歌集』の編纂を企画した当時21歳だった後鳥羽院が52歳だった式子の才能の素晴らしさに惚れ込んだ上での、この49首の選出だった。もちろん選出は天皇だけで決めるわけではなく数人の歌人の審判を受けているので、式子の才能が突出してたということだろう。
式子といえば、定家との恋愛というフィクション?から作られた禅竹作の能『定家』もある。ちょうど3年前に大槻文蔵師シテで見ている。死してもなお妄執に苦しめられる式子の霊の気が舞い上がってくるような、迫真の文蔵師の演技だった。
式子以外には宮内卿と俊成卿女の二人が当時の新進女房歌人として取り上げられている。式子は皇女という殻を破って新しい風を歌壇に吹き込んだのだけれど、宮内卿と俊成卿女といった女房(宮廷で天皇やその妃に仕えた女性たち)の歌も男性に並ぶ、あるいはそれ以上の高い評価を受けていた。後鳥羽上皇が女性歌人を盛り立て応援したという背景もある。
この本で初めて知ったのが宮内卿である。それが第三章第三項の「宮内卿—上皇の期待を受けて—」に詳しい。衝撃的なのはその歌だった。三首あげてみる。
「話さそふ比良の山風吹きにけり漕ぎゆく舟の跡見ゆるまで」
「月をはの待つらんものか村雨のはれゆく雲の末の里人」
「聞くやいかにうはの空なる風だにも松に音するならひありとは」
どれも目前の情景に残影、残像を結んでいる。そこに立ちあらわれる物語。どれもが情緒的というより理知的である。華やかというより、わび・さび的世界の描出である。
ただ、ここまでの哲学的とでもいうような歌を編み出すのに、心身を疲労させて20歳前後で夭逝したとか。手元にある『新古今和歌集』の歌を確認しようと考えている。
著者の田渕句美子氏はこの本の前に『新古今集 後鳥羽院と定家の時代』を上梓されている。それも合わせて読みたい。この『異端の皇女と女房歌人』はまるでドラマのような章立てで、ワクワクしながら読んだ。おそらく『新古今集 後鳥羽院と定家の時代』もそういう構成・内容になっているだろう。田渕氏は現在早稲田の教授である。