yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

お茶女中の卒業文集掲載の「悠仁作文」のいかがわしさ

まず名前が問題。「秋篠宮」は宮号なので、使えるのは秋篠宮本人のみで妻・子は使えない。この家の人たち全員誤用している。単に頭が悪いのか、故意なのかはわからないが。

基調はあの旅行作文と同じでただ行事の羅列のみ。中学生が書いたとは思えない陳腐な体裁、無味乾燥の内容、一言で言うと退屈の極み。

「開・啓・拓」というのはお茶の水女子大付属中がサイト(2021年度附属中学校経営方針)内で掲げている「各学年の教育目標」の項に則ったものだろう。1年次は「架」、2年次は「こころ」、3年次は「拓」となっている。若干変わっているのは、年度によって違っていたからだと思われる。

本人が書いたものでないのは一目瞭然。体験したことに熱が全く感じられない。あの剽窃が問題となっている「旅行記もどき作文」と同じである。学校が出した各年の行事予定を見つつ、大人が鉛筆ナメナメ作文したもの。旅行記と同じく感動のかけらも伝わらない。読む人の心に響かない。

学校が出した行事予定の各項にはそれぞれの目標が書いてあったはず。その「目標」をそのままあげていると思われる。例えば1年生(行事予定中の)「グローバルキャンプ」項目には、「英語のみを使っての宿泊行事。授業・英語劇の発表などを通して英語の技能を高め、コミュニケーション力を身につける」とあったはず。それをなぞっただけの文章ですね。当方、某大学ランゲージセンターのディレクターとして、グローバルプログラムの案内等でこのような宣伝文を書いていたので、よくわかります。体験した本人が書いていないので、感動を呼ばない。私なら、実際にどんな劇をしたのか、コミュニケーション力をつけるためどんな工夫がなされていたのか、「異なる文化」とは具体的にどのように紹介されたのかを加えるよう指導します。長くなるようなら、もっとも良かった体験一つを選んで書けばいい。

2年次のところに「このディベート大会は、準備を含め、相互啓発の場にもなりました」とあるけれど、どのような準備があり、それを通してどのように啓発し合ったのかという、具体例の記述がまったくない。つまり体験していない大人が書いた。本人自体、ほとんど登校していなかったので、書きようがないだろう。

3年次も同様。「障害者が働くお店を訪ねました。そこで働いている方々からお話を伺い、意見交換をすることで、働くことの様々な面を知る機会になりました」とあるけれど、具体的に何店だった?自分自身も質問した?「様々な面」とはどんな面?具体性がないので、熱が感じられない。これも行事を見て、大人が書いたものであるのが歴然。

まだまだあります。「その後も学校の活動を通じて、多様な視点をもち、考えを深めることの重要性を学びました」とあるけれど、「多様な視点を持つ」なんていうのは大人のクリシェ(決まり文句)。旅行記もそうだったが、大人のクリシェがちりばめられているので、中学生が書いたものでないのはアホでもわかる。周囲がそういう判断ができない輩ばかりなのだろう。本当にレベルが低い。

メディアが騒々しくバタバタとあげているこの本人と親二人と並んでのインタビュー。短い挨拶程度ですらまともに言えない無様さ。おそらく加工したと思われる映像。編集済みでこの体たらく。この三人全員メモなしで会見は不可能だろう。メモなしだと秋のそれのように、グダグダで意味不明なものになる。あまりにもの頭が悪さに同情すら覚える。

ただ、剽窃はいけない。アメリカでは犯罪で、(大学など)職を辞さなくてはならない。筑波大附属高入学条件の一つがあの剽窃作文だったとしたら、当然入学は取り消しになるはず。福岡県北九州市が主催した作文コンクールは入賞を取り消さなくてはならないのに、未だそのまま。海外ではこれは大問題。海外紙で大きく取り上げられてしまった。日本の恥である。

嘘を隠蔽するために様々な手を打ったつもりが悪手で、因果応報とばかりに禍(当然の報いともいう)が降りかかるのが、この一家。今回もまさにそれ。所詮ニセモノ。早く退場してほしい。

 

ここで引き合いに出すのも失礼ながら、知性、感性、品性、理性の優秀さ・高貴さが行間からあふれんばかりだった敬宮さまの中学生の時の作文とは比べるべくもない。昨日のご会見もすばらしいものだった。頭脳明晰、清廉潔白、品格最高、何よりも麗しい。これぞ皇女様。次の天皇陛下。日本の象徴として輝き続けられるだろう。

 

ここに載せるとブログの質が著しく低下するのが厭ではあるが、一応参考に当該悠仁作文を載せておく。

開・啓・拓の思い出   秋篠宮 悠仁

 

中学校生活の三年間を終えるにあたり、各学年の目標で用いられた漢字で振り返ってみたいと思います。

 

一年時の漢字は「開」でした。この学年で印象深かったことに、最初で最後の宿泊行事であった英語を学ぶグローバルキャンプがありました。英語のみを使った二日間の研修では、授業や英語劇の発表などを通して英語の技能を高められただけでなく、コミュニケーションの力を身につけ、異なる文化にふれることができました。この学年行事を通して、新たな扉を開ける体験ができました。

 

二年時は「啓」でした。この年は、ディベート大会での取り組みが印象に残っています。あるテーマについて、賛成と反対の立場のグループに分かれて討論を行います。事前にグループごとに資料を読み込み、両方の立場で意見を伝えられるように話し合いをしました。ディベートでは、反対の立場の人が納得するように伝え、相手の主張を的確に聞き、それに対して適切に反論することが大事です。このディベート大会は、準備を含め、相互啓発の場にもなりました。

 

そして三年時の漢字は「拓」でした。一学期には、校外学習として、障害者が働くお店を訪ねました。そこで働いている方々からお話を伺い、意見交換をすることで、働くことの様々な面を知る機会になりました。その後も学校の活動を通じて、多様な視点をもち、考えを深めることの重要性を学びました。また二学期には、一年生のときから探究してきた自主研究をまとめ、自分の興味を深めることができました。これらの経験は、これから歩む自らの道を拓くことに繋がっていくように思います。

 

中学校生活は、途中での休校があり、行事の中止や変更もある中で、何ができるのかを皆で話し合い、工夫をしたことも貴重な経験でした。多くのことを学び、思い出に残る充実した三年間でした。