yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

127代天皇陛下は敬宮愛子内親王殿下をおいて他にはないと証明してみせた敬宮愛子さまの会見

すばらしい会見。穏やかな態度と優しい口調、美しく耳に心地よい声、優れたarticulationは質問をしたアナウンサーを凌いでいる。そして何よりもその内容の完璧さ。論旨展開が非常に明瞭。理論的であるけれど、冷たいのではなく、温かさに満ちている。様々な例えの挙げ方もユーモアがあると同時に真摯である。的確に選ばれたことばの一つ一つ、敬語の遣い方が美しい。抜きん出て頭の良い方であるのがわかるが、態度・様子には傲慢さは微塵もない。真剣に応えられる様子には相手を思い遣る心持ちが伝わってくる。

これらから、人柄、人品共に類稀なる高位の方なのは、誰の目にも明らかである。それは何よりもその麗しい顔(かんばせ)、双眸、口元が如実に語っている。

前日の地震で亡くなった人、その遺族へのお見舞いで会見を始められたところで、前の記者団のみならず放送を聞いた視聴者も「この方はほんものだ!」という印象に打たれたに違いない。

ずっとメモを見ないで質問に答えられたのにも、圧倒された。まだ20歳、しかも初会見だったのに、凛として、淀みがないのにも、圧倒された。これ、すごいことです。グダグダとした、無駄なおしゃべり的なところはなく、怪しい脱線もなく、ごまかしも一切なかった。プロンプターを使って常時会見する元首相も敬宮さま会見をお手本に勉強すべきですね(これは私自身にも言えることで、未だに海外の学会発表で原稿を読んだり、パワーポイントを多用したりするのがお恥ずかしい)。敬宮さまが並外れて頭脳明晰な方だということが、万人の目に明らかになった画期的瞬間だった。

「成年を迎えての気持ち」を聞かれて、それを実感したのは天皇陛下から勲章を親授され「勲章の重みを感じたとき」と具体的に例を挙げて答えられている。「新年祝賀の儀」や宮中祭祀に参列した折に感じられた感慨も挙げておられる(「出席」と「参列」を遣い分けておられるところに言葉に対して非常に鋭敏な方だとわかる)。ここに引き合いに出すのもおぞましいが、「悠仁作文」にまったく欠如していたのがこの実体験への言及で、本人が書いていない証拠。「文は人なり」というけれど、その「人」がまったく見えてこない。文章を書くということに対する畏れがない証拠でもある。今後、公(おおやけ)に文章を発表するのは控えるべき。

敬宮さま会見に戻る。ご自分の長所・短所を聞かれたときにもユーモラスなエピソードの具体例を挙げて答えておられる。敬宮さまが感じられた「あれーっ」感がダイレクトに伝わり、微笑ましい。体験をした時の感動を読み手と共有する。ここに文を書く意味があるのではないですか。

ボランティアへの関心も福島県の復興支援に参加しているご友人を挙げて述べておられるのももう一つの体験共有の例だろう。植物、動物を含む「自然」への関心もとてもリアルに聞いているものに伝わってきて、敬宮さまの立ち位置がより一層はっきりとわかる。

皇族方の専門を生かした活動への言及もあり、その方々から学んでいると述べられたところにも、謙虚であると同時に優しいお人柄が窺えた。このお答え中の「皆様の御所作や立ち居振る舞い」というところに、私としては衝撃を受けた。ここまで美しく、的確な言葉をこの年齢で遣うことできる方に初めて出会ったから。今まで教えてきた学生でここまでの正しい日本語を遣えた人はいなかった。

これ以降は映像では見ることができなかった。残念であると同時に腹立たしい。どこかから横槍が入ったのだと推察される。人品卑しく、頭の悪い連中だろう。

私がもっとも知りたかったのは、大学での専攻と授業についてだった。メディアにアップされていたのでようやく知った。この記事最後に会見全文を掲載しておく。日本文学は平安から昭和初期にかけての授業を履修されているようで、頼もしいかぎりである。「紀行文」とおっしゃっておられるのは江戸期の天野信景著『塩尻』でしょうか。平安期なら紀貫之著『土佐日記』でしょうか。興味があります。『源氏物語』等の平安期の物語文学にも関心がおありとのこと。いずれ近いうちに優れた論文を出されるのは間違いないと確信している。早期にコロナが収束し、登校されての授業になることを祈っている。さらに、英国、米国の大学に留学され、より一層研鑽を積まれ、日本を代表する研究者になられることを切望している。

敬宮さま会見でおそらく最も多く遣われたことばは「感謝」だと思われる。聞いていた人がもっとも感動したのもそこだろう。国民の祈りにも似た想い。魂レベルで日本人であることへの喜び。それを具現化してくださった敬宮愛子さま。暗闇の中にさす一条の光。一条だけれども勁い光。輝かしい光。「その光を確かに得た」と実感できた会見だった。ただ感謝!

 

敬宮愛子内親王殿下会見

――ご成年を迎えられたお気持ちをお聞かせください。成年皇族として公務や行事に取り組まれた感想と、今後の活動や抱負についてもお聞かせください。

まずお答えに先立ちまして、昨夜の地震により、亡くなられた方がいらっしゃると伺いまして心が痛んでおります。御遺族の皆様と被災された方々に、心よりお見舞いを申し上げます。

では、質問にお答えいたします。

昨年12月1日に成年を迎えまして、まず二十歳(はたち)という節目を無事に迎えることができましたことを嬉(うれ)しく思っております。そして、今までの、あっという間のようで長くも感じられる充実した月日を振り返りますと、これまでのあらゆる経験は、多くの方の支えや御協力があってこそ成し得たものであると身をもって感じております。これまで様々な形で支えていただき、成年を温かく祝福してくださった皆様に、心より感謝をお伝えしたいと思います。

誕生日当日は、成年を迎えたという実感がまだあまり湧いておりませんでしたが、12月5日の成年行事の折に天皇陛下より勲章を親授していただきまして、初めて身に着けた時に、勲章の重みをひしひしと感じて、身の引き締まる思いがいたしました。

そして、新年には、成年皇族として初めて「新年祝賀の儀」に出席しまして、また年末から年始にかけてはいくつかの宮中祭祀にも参列いたしまして、初めてのことばかりで緊張もございましたし、これまで両親から話を聞くだけであった行事に自分が参加しているということには少し不思議な心持ちがいたしましたけれども、自分が成年皇族の一員であるという自覚が芽生え、個々の行事に責任感を持って臨まなければならないと感じた瞬間でございました。

今後につきましては、まだ大学生でございますので、当面は学業を優先させていただきながらにはなりますが、一つ一つのお務めを大切にしながら、少しでも両陛下や他の皇族方のお力になれますよう、私のできる限り、精一杯務めさせていただきたいと考えております。

――ご自身の性格や長所・短所について、具体的なエピソードを交えてご紹介ください。日々の生活で興味のあることや趣味、国内外の出来事で関心のあることについてお聞かせください。

私の性格は、友人や周りの方からは、「穏やか」であったり、「無邪気」と言われることが比較的多いような気がいたします。

長所は、自分ではなかなか気付きにくいものでございますけれども、事前にこの御質問を頂いたのでじっくりと考えてみまして、強いて申し上げるなら、「どこでも寝られるところ」でしょうか。

以前、栃木県にある那須の御用邸に行き、その着いた晩に、縁側にあるソファーで寝てしまい、そのまま翌朝を迎えた、なんてこともございました。

短所といたしましては、今のエピソードからお分かりかもしれませんが、自由に伸び伸びと育ったようで、「少しマイペースな部分があるところ」だと自覚しております。また、小さい頃から人見知りのところがございますので、これから頑張って克服することができれば、と思います。

普段は、飼っている生き物のお世話をしたり、時間があるときには音楽を聞いたり、運動をしたりして過ごしております。昔から体を動かすことが好きですので、父と一緒に敷地内をジョギングしたり、以前は家族3人でテニスをしたり、現在は新型コロナウイルス感染症の感染対策を徹底しつつ、職員とマスクを着用したままバドミントンやバレーボールをしたりすることもございます。

日々の生活では、緑豊かなところに住んでおりますので、自然には興味がございます。移居の後、敷地内を探索する時間がまだ十分には取れておりませんけれども、皇居にはどのような生き物が生息し、どのような生態系が広がっているのかということは、とても気になります。

また、国内外の関心事につきましては、近年自然災害が増え、また、その規模も徐々に大きくなってきていることを心配しています。

そのような中で、ボランティアとして被災地で活躍されている方々の様子をテレビなどの報道で目にしまして、自分の住んでいる街であるとかないとか関係なく、人の役に立とうと懸命に活動されている姿に非常に感銘を受けました。

私の親しい友人にも、東日本大震災で被災した福島県の復興支援にボランティアとして携わっている友人がおりまして、私自身、災害ボランティアなどのボランティアにも関心を持っております。

そしてもう一つ、盲導犬や聴導犬といった働く動物たちにも、学校主催のイベントや、動物についてのフォーラムの折などに触れる機会がございまして、動物好きの私といたしましては、心惹(ひ)かれるものがございます。

――愛子さまにとって、天皇皇后両陛下はどのようなご両親ですか。思い出や日々の会話についてご紹介ください。両陛下や上皇ご夫妻をはじめとする皆さまから、皇室の一員としてのあり方をどのように学ばれていますか。

両親は、私の喜びを自分のことのように喜び、私が困っているときは自分のことのように悩み、親身に相談に乗ってくれるような、私がどのような状況にありましても、一番近くで寄り添ってくれるかけがえのない有り難い存在でございます。これまでたくさんの愛情を注ぎ育ててくださったことに深く感謝しております。

また、両親と話をしておりますと、豊富な知識や経験に驚かされることが多々ございまして、また、両親の物事に対する考え方や、人との接し方などからは学ぶことが多くございます。

両親との思い出といいますと、やはり私の学校の長期休みに出掛けた旅行のことが真っ先に思い浮かびます。どの旅行も非常に思い出深いものでございますけれども、静岡県の下田市にある須崎御用邸に行き、海で泳いでいる時に、綺(き)麗なお魚の群れを発見して皆で観賞しましたり、また、須崎はほとんど波のない穏やかな海でございますけれども、サーフボードを浮かべて、そこに3人で座る挑戦をして、見事全員で落下した思い出など、お話しし始めると日が暮れてしまうかもしれません。

日頃から、家族では、その日にあった出来事などいろいろな話をいたします。最近では、北京オリンピックやパラリンピックを観戦して、その試合の様子について話したり、感動を共有したりいたしました。

アスリートの皆さんのひたむきに競技に打ち込まれる姿や、夢の舞台を最大限に楽しもうとされる姿には、たくさんの感動や希望、そして勇気を頂きました。

また、両親と一緒に、飼っている犬や猫と触れ合う時間も、私の心安らぐ時間になっていると感じております。これからも、ペットを含め、家族で過ごす時間を大事にしてまいりたいと思っております。

続きまして、皇室の一員としての在り方をどのように学んでいるかということでございますけれども、私は幼い頃から、天皇皇后両陛下や上皇上皇后両陛下を始め、皇室の皆様が、国民に寄り添われる姿や、真摯に御公務に取り組まれるお姿を拝見しながら育ちました。

そのような中で、上皇陛下が折に触れておっしゃっていて、天皇陛下にも受け継がれている、皇室は、国民の幸福を常に願い、国民と苦楽を共にしながら務めを果たす、ということが基本であり、最も大切にすべき精神であると、私は認識しております。

「国民と苦楽を共にする」ということの一つには、皇室の皆様の御活動を拝見しておりますと、「被災地に心を寄せ続ける」ということであるように思われます。

先週で東日本大震災から11年の時が経過いたしました。街には徐々に活気が戻ってきているようにもうかがわれますけれども、いまだに2500人以上もの方の行方が分かっておらず、また4万人近い方が今もなお避難生活を続けていらっしゃいます。

被災された方々の心の傷が癒えるのは容易なことではないと思いますし、また、時間を要するものであると想像されます。そういった苦難の道を歩まれている方々に思いを寄せ続けるということも、大切にしていくことができればと思っております。

また、皇室の皆様は、歴史であったり、生物であったり、児童文学であったり、様々な福祉活動に携わっていらっしゃったりと、御自身の関心のある分野を深めていらっしゃいます。お一方お一方がそれぞれに専門とされるような分野をお持ちでいらっしゃって、その深い知識を公的なお仕事にも役立てられている御様子を拝見いたしますと、このような立場で研鑽(さん)を積むということの意義をお示しくださっているように思います。

そのほかにも、行事の際などに皇室の皆様にお目に掛かった折には、皆様の御所作や立ち居振る舞いをお側(そば)で拝見し、そのなさりようをお手本とさせていただきながら、少しでも皆様に近づくことができますよう、努力したいと思っております。

――大学生活について伺います。どのような分野に関心を持って学ばれていて、新型コロナウイルスの影響をどう受け止めていらっしゃいますか。海外留学や大学院進学など今後の進路について、夢や目標をお聞かせください。

私は、現在、学習院大学の文学部日本語日本文学科に在籍しております。本学科では、2年次に、日本語日本文学系と日本語教育系の二つのコースに分かれ、私は前者の日本語日本文学系を選択いたしました。日本語日本文学の、日本語学の方は、日本語のルーツや文法など、日本語に関する基礎的な事柄を幅広く学習しております。一方の日本文学につきましては、平安時代から昭和初期にかけての多様な文学を通して様々な考察を深める授業であったり、紀行文を民俗学的な視点で読む授業などを履修しております。

関心のある分野は、いまだ模索中といったところではございますが、以前から興味を持っておりました、『源氏物語』などの平安時代の文学作品、物語作品を始め、古典文学には、引き続き関心を持っております。

この約2年間、新型コロナウイルス感染症の蔓(まん)延により、多くの学校関係者、先生方や学生さんが、様々な面で不便を感じつつ、試行錯誤しながら学校生活と向き合ってこられているのではないかと思います。

私も、現在、大学の2年目が終了したところでございますが、感染防止の観点から、普段は大学には通学せず、全科目をオンラインで受講しております。学習院大学では、対面授業を再開している教科も一部ございますが、そのような授業については、対面とオンライン両方の受講を可能とするハイブリッド形式により、授業の同時配信をしていただいており、そういった先生方の御配慮のお陰で、学業が続けられていることを有り難く思っております。

新型コロナウイルス感染症の感染拡大が一日も早く収束し、このような厳しい状況が落ち着いた先に、少しでも不安の少ない環境で、皆が有意義な学校生活を送ることのできる未来が待っていることを願っております。

最後に、私の今後の進路につきましては、現時点ではまだ考えがまとまっておらず、これからの大学生活を通して、知識を広げながら自分の興味を深めていく中で、決めていくことができればと思います。

――ご自身の結婚について、どのようなお考えをお持ちでしょうか。理想の時期やパートナー像があれば併せてお聞かせください。小室眞子さんの結婚の経緯をどのように受け止められましたか。

結婚は、私にとってはまだ先のことのように感じられ、今まで意識したことはございません。

理想のお相手については、特別これといったものはございませんが、一緒にいてお互いが笑顔になれるような関係が理想的ではないかと考えております。

眞子さんの結婚の経緯につきましては、朝見の儀や納采の儀などの儀式を行わない運びとなったのは、天皇陛下や秋篠宮皇嗣殿下の御判断によるものと伺っておりますので、私から発言することは控えさせていただきたいと思います。

眞子さんは、私の10歳年上でございますので、物心付いたときには、既に頼りになるお姉様のような存在で、周りを見渡し、自ら率先してお手伝いをされる姿が特に印象に残っております。また、私が生まれた当初から同じ敷地内に住んでいらっしゃいましたので、赤坂のお庭で一緒に遊んでいただいたことや、折に触れて楽しくお話をさせていただいたり、ゲームで盛り上がったりしたことは、私の眞子さんとの大切な思い出でございます。

幼い頃から、いつも変わらず明るく、優しく接していただいたことを有り難く思うとともに、従姉妹(いとこ)として、末永いお幸せをお祈りしております。

――先ほど、両陛下との御関係の中で、愛情深く育てていただいたという感謝の気持ちですとか、ちょっと楽しいエピソードも御紹介いただきましたが、愛子さまのこれまで歩んでこられて、困難に直面された時に、両陛下からどんなお支えや言葉があったのか、また、愛子さまのお生まれになった時に、皇后さまが「生まれてきてくれてありがとう」とおっしゃったことを御存じかと思うんですけれども、今、二十歳(はたち)をお迎えになって、愛子さまが逆に両陛下にお伝えになりたい言葉がもしあればお聞かせください。

具体的にどのような言葉というのは、ここでは差し控えさせていただきたいと思うのでございますけれども、両親は私がどのような状況にありましてもいつも私の気持ちに寄り添ってくれて、また、何か問題に直面した時は、その問題に真剣に向き合ってくれまして、私の意見や考え、気持ちを尊重しつつ、的確なアドバイスをくれたように思います。そして、両親からもらった大きな愛情や励ましが、そのような時に私の支えとなっておりました。

また、両親にどのような言葉を伝えたいかという御質問でございますけれども、母の「生まれてきてくれてありがとう」という言葉に掛けて、私も「生んでくれてありがとう」と伝えたいと思います。

また、これまで両親には様々な機会を与えていただいたり、私の成長を、愛情を持って温かく見守ってきていただいていて、そして、そういった両親の生活面で支えてくれているところなどにも深く感謝しておりますので、そのことについてお礼を伝えたいと思います。

そして、「これからもどうかお体を大切に。これからも長く一緒に時間を過ごせますように」という言葉も添えたいと思います。

以上でございます。

――愛子さまは中学の卒業文集で世界の平和を願う文章をつづられて、私もその文章に大変感銘を受けた者の一人なんですが。

ありがとうございます。

――今のウクライナ情勢がですね、緊迫度を増していまして、ウクライナ人の多くの方が犠牲を強いられ、核の脅威にもさらされているのが今の現状なんですが、愛子さまはどのように日々のそういった現状を御覧になっておられますか。

そうでございますね。ウクライナ国内で多くの尊い命が失われていることに非常に心を痛めております。現在の国際情勢は厳しいものがございますが、天皇陛下がお誕生日の記者会見の折におっしゃった言葉と同じ言葉をそのままお伝えしたいと思うので、メモを見させていただきます。

お誕生日の御会見では「国と国との間では、様々な緊張関係が今も存在しますが、人と人との交流が、国や地域の境界を越えて、お互いを認め合う、平和な世界につながってほしいと願っております」というお考えを示されましたが、私もこのお考えと同じ思いでおります。

今広島の文集の話もしていただきましたけれども、私は中学3年生のときに広島を訪れ、原爆ドームとそれに併設する広島平和記念資料館を訪れましたが、その時に見た、目を覆いたくなるほどのとても凄惨な光景を今でもはっきりと覚えております。その時に平和の尊さを改めて強く感じまして、私は今でも平和への強い願いを持っております。

以上でございます。

――ありがとうございます。

──この度は新型コロナウイルスがあり、またウクライナ情勢があり、また夕べは地震もございました。そのような中で、今日の記者会見についてどのようなことを大切に準備に臨まれたのでしょうか。また、天皇皇后両陛下からのアドバイスがあればそれもお教えください。

どのようなことを大切に準備したかと申しますと、一つ一つの御質問、事前に頂いた御質問に対して、なるべく具体的に自分の言葉で自分の思いを皆さんに知っていただけるように伝えたいと思って準備してまいりました。その準備に当たっては、両親から「もうちょっとこの言い方はこっちの方がいいんじゃないか」ですとか、そういうアドバイスを頂いたりしました。

また、天皇陛下や皇后陛下、両親がその記者会見に臨んだ時の体験も踏まえて「こういうふうにすると緊張が少し和らぐよ」などのアドバイスをもらったりして、それを今、少し実践できているような気がいたします。

以上でございます。

――差し支えがなければ、どのようなことで緊張が和らぐのか、そのことをお聞かせいただけますか。

父から聞きましたのは、聞いてくださっている皆さんの顔、お一人お一人の顔を見ながら、目を合わせつつ、自分の伝えようという気持ちを持って話していくというのがコツだというふうに、他にもございますけれども、そのようなことをいろいろ教えていただきました。

以上でございます。