yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

「悠仁」作文の退屈と陳腐と虚偽−−苦肉の策で佳作にした?

この作文もどき「報告」は明らかに本人が書いていない。凡庸な文章。大人のクセに作文がなんたるかもわかっていない御仁が書いたもの。作文を書くには、それが小学生であろうが中学生であろうが次の様な書き方指導がなされるはずだけれど、それを理解していない。

まず、テーマの展開方法(修辞的にいうなら演繹法・帰納法)を決める。ここでは演繹法の場合の展開法を列挙してみる。次のようになるだろう。

 

 (1)文章化する理由=伝えたいこと、感動の中身は何か。

   体験により開(拓)けた視点。

(2)どういう体験(何を見て、何を聞いて)によってその感動を得た?

   時系列、もしくは空間系列で具体的内容を描く。

(3)その体験が筆者にどの様な影響を与えたのか。

   その体験によりどういう未来に繋がる視点が開(拓)けたのか。

 

もちろん小・中学生にはかなり難しい作業だろうから、そこは指導者がしっかりと指導する必要があるだろう。脈絡がないダラダラと書き付けたものをいかに推敲、編集するかの手本を見せる必要がある。

悠仁作作文にはこの指導がなされていない。むしろ指導を排除したのではと疑われる節がある。中二の生徒が書いた文章ではない。これは作文ではなく報告書である。それも大人=中年成人が書いたものだろう。

作文を書く上で最も大事なのは上の(1)である。心を動かされたことを伝えたいという強い想いがなくては、単なる報告に過ぎなくなる。小笠原諸島を訪ねた折、具体的に何に感動したのか。それがあるから4年経ってもその体験を文章にしようとしたのではないのか。その部分が完全に欠落している。当事者ではなく他人が「推し量って」書いた本人ではない大人の報告書。内容にみずみずしさ、ワクワク感が微塵も感じられないのがその証左である。

時系列的にどういう行事があったかのレポートにはなっているが、体験によりどういう視点が拓けたのか、大げさにいえば「人生」がどう変わったのか。その記述はまったくない。4年後の今、その体験を振り返る(反芻する)ほどの強い感動をもたらした体験なんですよね? それなら幼かった4年前には分析・解釈できなかったことも今の「成長した眼」で見ることができるはずですよね。それが結論にくるべきだったはず。

愛子さまの卒業記念文集の作文「世界の平和を願って」は広島原爆ドームを訪ねた際のみずみずしい感動がそのまま伝わってくる優れたものだった。上に記載した(1)、(2)、(3)が全て揃っていた。お手本になる作文で、愛子さまの感性のみずみずしさ、頭脳の明晰でおられるのがよくわかるもの。原爆記念館での体験を通して、原爆のない未来がどのようにすれば可能なのかという問題提起にもなっていた。実に感動的な作文。

悠仁作作文は筆者の顔がまるで見えない退屈な報告書で、比べるのも失礼だろう。まるで比較にならない代物だから。これを代理で書いた人も、残念ながら感動体験を持ったことのない人なのだろう。

いかにも大人が書いていると思われる一例を下にあげる。

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「船が出航するときに、私たちは互いに手を振り、別れを惜しみました。」はいかにもクリシェに慣れた大人の文章。どう「惜しんだのか」に具体性がない。

「次々と船人が飛び込む姿も感動的でした」とあるけれど、なぜ感動したのかは欠けている。本人が感動したのではなく「筆者」の母親から「感動というタームを入れるように」という指示があったのではと推察する。

「忘れられない思い出です」も大人(それも中年?)のクリシェ。つまり加える必要がないというより付け加えるべきではないクリシェ。大人がよくやるんですよね。「島の人々のあたたかさが最後まで感じられ(略)小笠原の方を見続けていました。」も大人がよく使う常套句。逆に感動が削がれるんですよね。常套句を使うと。どの箇所を切り取ってもこの調子。書き手がまるで見えてこない、単なる報告、それも常套句満載のこの作文に賞を出すとは、文学賞主催者は恥ずかしくないのでしょうか?コンクールの副題は「見て、聞いて、調べて、自分の言葉で書いてみよう」ですよね。この主旨の、とくに「自分の言葉」で書いていないことが明々白々のこの作文。これに賞とは呆れます。

では、他の賞獲得者のものはどうだったのか?その一部を紹介する。

中学生の部の大賞「葬儀のススメ」は体験したお葬式のことを書いたもの。ダラダラと冗漫で、指導者が編集を手助けしなかったのが惜しまれる。でも、(1)と(3)部はしっかりしていて、筆者の「感動」が直截的に伝わってきたのは良かった。講評にあるように、葬儀についてかなり綿密に調べたこともわかるものだった。

また「那須正幹賞」の「I LOVE 歌舞伎〜平成中村座小倉城公演〜」は筆者の感動が行間からあふれんばかりに伝わってくるものだった。感動をそのままにせず、歌舞伎について、役者について、中村座について念入りにリサーチしていて、ずいぶん前にそういう経緯を経て歌舞伎にのめり込んだ自分を見ているような気がした。文章力は中学生の部の中で最も高かった。

悠仁さんのものは、中学生の感性がまるで感じられないつまらない作文。しかもコンクールの謳い文句の一つ、「調べて」の作業が欠落している。小笠原諸島の歴史、その数奇な歴史、とくに太平洋戦争時の熾烈な戦いと無残な結末。これこそ調べる価値のあることだろう。リサーチ抜きの「報告」では済まされない重い歴史がある。本人の代わりにこの「報告」を書いた大人がそこに言及していないということは、その人の知性も並以下という結論になる。とはいうものの、皇族の応募ということで、この駄作にも賞を出さずに済ますことはできない。というわけで、「佳作」でお茶を濁したということだろうか。

そういや「退屈」、「陳腐」、「虚偽」はそのまま小室「論文」をあらわすことばだった。秋家が絡むとこういうような「あげ底」論文や作文が出てくるのはなぜ?それはそのままこの一家全員に当てはまる。しかも今回は成りすましが加わっている。これもどこかの高校に押し込むための策略?しかしここまでなりふり構わない横暴をやってのけるキコという女の卑しさ、醜さを改めて思う。

表彰式にオンライン出席した本人の映像を見る限り、「感動する」ということとは無縁であることがわかる。無表情に原稿を読み上げ、まるでロボットのようだった。薄気味悪ささえ感じた。この映像をなんの抵抗もなく出すキコ、日本国民として恥ずかしく、いたたまれない。