yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

三浦春馬さんへのトリビュートフィルム『Kinky Boots Haruma Miura Tribute movie』(キンキーブーツ、トリビュートフィルム)が公開された(10月27日)

YouTube動画をリンクしておく。

www.youtube.com

kinkybootsjpさんのtwitterでのお声がけで始まり、そして一つの形として実ったこの試み。ありがとうございます。彼女のメッセージ、「皆さまの心に、三浦春馬さんのローラの輝きがいつまでも残りますように」を噛み締めている。メッセージを魚拓にしてアップさせていただく。

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ブロードウェイ・東京公演の演出・振付(Director/Choreographer)担当だったJerry Mitchell はじめとして、演出、振付関係者が総出で春馬さんを賞賛している。その部分が7分と長いのは、版権の問題で実舞台映像を長く出せないためもあったのかも。映像が短いのは仕方ないものの、関係者一同からの賞賛の嵐には感動してしまう。

Wikiの解説の一部が、三浦春馬さんがどれほどローラの役を熱望したのかの情報を提供してくれている。

2016年シンディ・ローパーが全曲作詞作曲し2013年のトニー賞で6部門を受賞した大ヒットブロードウェイミュージカルキンキーブーツ』日本版に主演(音楽・演出・振付はブロードウェイ版そのまま)。三浦は本作を2013年にニューヨークで見て衝撃を受け、「日本版が上演されることになったら絶対に自分が演じたい」と熱望し、役に合った肉体改造もしてオーディションを受けてこのドラァグクイーン・ローラ役を射止めた。全公演、即日完売。連日スタンディングオべーションの嵐が続き、第24回読売演劇大賞優秀男優賞と杉村春子賞を受賞。後に「初演が幕を閉じた瞬間から、再演するつもりだった」「転機となった作品」と語っている。2019年によりパワーアップして再演を果たし、再び大成功を収めた。

春馬さん自身の口から、2013年のAl Hirschfeld Theatre(302 West 45th Street, New York City)での初演公演を見て衝撃を受け、「ぜひ演じたい!」と熱望したと語られている。

その衝撃のほどを正確に推し量るのは難しいかもしれないけれど、でもなんとなくわかります。なぜなら基になっている原作はハーヴェイ・ファイアスタイン(Harvey Fierstein)の本なんですから。彼はアメリカでゲイ映画の地歩を築いた感のある『トーチソング・トリロジー』の原作者であり、主演者でもある。彼はとても繊細な人。作品も繊細。その繊細さがKinky Bootsにもここかしこに匂い立ち、それが繊細な感性の人を打つ。私のようにジェンダーも違い、またゲイでもない人間をも共振させ感動させてしまうだけの、そういう美的感性の鋭さとデリケートさがしっかりと伝わってくる。三浦春馬さんが感動したのは、シンディ・ローパーが、ファイアスタイン原作からしっかりとそのエッセンスを汲み取り注ぎ込んだミュージカル版Kinky Bootsだったのですね。

動画としてアップされた断片からも、春馬さんが音楽のみならず歌詞の中に深く入り込んで、それを自らのものにしているのが分かる。所作も日本人とは思いえないほどの大胆なもの。しかも歌の合間に見せる表情の豊かなこと。しかもこのローラという人物が抱える苦悩が、くっきりと立ち上がってくるのがすごい!ドラッグクイーンとして生きなくてはならないことの辛さ、でもそれを逆に誇って見せるその矜持。二つの感情の中で揺れ動くローラの内心が手に取るように表現されていて、凄みさえある。歌やセリフで大仰に見得を切って見せるとき、春馬さんの目が悲しみに満ちているのはなぜなんだろう?見ている者もその悲しみの堀に沈むのはなぜなんだろう?春馬さん、あなたは、完璧すぎたのですよ。

春馬さんというのは、自らに妥協をしない人だったのだろう。きっと鬼のごとくに自己研鑽に励んだのだと思う。というのも、YouTubeにアップされている他動画での春馬さんの英語の完璧さに、ショックを受けたから。違和感がない。訛りもない。所作も英語のもの。ここまで自然な英語を話す人を見つけるのは難しいだろう。彼がこの作品にいかに深く入り込んでいたということの証左だと思う。歌を英語で歌っているかのように錯覚させられるとことが多々あった。セリフも然りで自然な英語に聞こえる、日本語なのに。だからアメリカのミュージカルを日本人が演じる時のあの違和感がまるでない。それが不思議。世界で一番難しいのは、(私が思うに)英語を日本語文脈に置き換えること。「レイプされている感じ」とでも言おうか。春馬さんがあの域に到達するまでの自己に課した苛酷なまでの研鑽を想う。その努力にただ頭が下がる。でも、胸が痛い。だから見逃してよかったのかとも思う。亡くなった後、YouTubeに上がっている動画を見る気にはなれなかった。

私のように春馬さんを見たのは劇団☆新感線の『ZIPANG PUNK〜五右衛門ロック III』(それも映画版)のみのような者でも時間が経っても依然として喪失感はある。それでもこのようなトリビュート版が公開されることで、一つの前進確認ができたのかもしれない。

でもやっぱり残念、実舞台で『キンキーブーツ』を見たかった!