yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

浦田保浩師シテの能『羽衣』in「能楽チャリティ公演~祈りよとどけ 京都より」@ロームシアター 9月25日配信、再配信は10月12日まで

概要は人口に膾炙しているので割愛する。演者一覧は以下。

シテ  天女   浦田保浩

ワキ  漁師白龍 小林努

笛       森田保美

小鼓      曽和鼓童

大鼓      谷口正壽

太鼓      井上敬介

 

地謡    大江泰正  宮本茂樹  

      橋本光史  浦部幸裕

      吉浪壽晃  河村和重  

      井上裕久  河村晴久

後見    林宗一郎  

「のう、のう」で始まる冒頭部シテ登場の呼びかけ。深く嫋嫋とした声調。この声で、この人が普通の人間ではないとわかる。どこか天上からやってきた人。衣装、そして冠が美しい。浦田保浩師の声はいつもながら趣きがある。白龍役の小林努師との掛け合いが圧巻。お二方の声のすばらしいこと!

九郎右衛門師の副音声解説に『天人五衰』への言及があった。元は仏教用語ではあるけれど、三島由紀夫はそれを借用、最後の小説のタイトルが『天人五衰』である。三島が市ヶ谷の自衛隊駐屯地にうち入る直前、編集者に託した『豊饒の海』の最終章『天人五衰』。この言葉を聞いて頭に一撃を食らった感じがした。『羽衣』と『天人五衰』を比べたことはなかったけれど、確かにアナロジーになっているかもしれない。衝撃が大きくて、ちょっと立ち止まってしまった。

「羽衣」の連想といえば、もちろん僧正遍昭のあの歌、「天津風 雲の通ひ路吹き閉ぢよ をとめの姿しばしとどめむ」が思い浮かぶ。この歌は地謡部に「おもしろや天ならで こゝも妙なり天津風 雲の通路吹きとぢよ 乙女の姿 しばし留りて」(クセ)としっかり組み込まれている。

さらに、『羽衣』の最もインパクトのある部分は、なんといっても白龍の「反省」だろう。衣を返してくれという天女に、白龍は「「いや此衣をかへしなば 舞曲をなさで其ままに 天にやあがり給ふべき(返したら条件にした舞曲を舞うことを反故にし、天に帰ってしまうだろう)」と言う。天女の反論に泣ける。曰く「いや疑は人間にあり 天に偽なきものを(疑うのは人間である。天上界の者に偽りはない)」と。恥じた白龍、衣を天女に返す。

返礼の天女舞が始まる。キリ部の謡はなんともビジュアル。天女が空高く舞い上がりな駆け上がってゆくさまが、朗々と謡われる。一度聞いたら忘れられない名調子である。冒頭部の「あーずーまーあーそーびーの」が聞こえてきた瞬間、心の中で声を合わせてしまう。能作品の中で私が最も好きな詞章の一つである。

東遊のかずに 東遊のかずかずに その名も月の色人は 三五夜中の空に又 満月真如の影となり 御願円満国土成就 七宝充満の宝を降らし 国土にこれを ほどこし給ふさるほどに 時移つて 天の羽衣 浦風にたなびきたなびく 

三保の松原浮島が雲の 愛鷹山や富士の高嶺 かすかになりて 天つ御空の 霞にまぎれて 失せにけり

『羽衣』が愛される理由の一つがこの最後の場面だと確信できる。明日(10月12日)までの配信だけれど、もっと延長していただけないだろうか。

YouTubeにはこの『羽衣』と『大会』の舞台直前の楽屋風景が「舞台裏 密着リポート ダイジェスト版」としてアップされていて、興味深く拝見した。多くの能楽師がシテお二方の「着付け」に関わっていることがわかる。九郎右衛門師には主として青木道喜師が、そして浦田保浩師の着付けには林宗一郎師が、最初から最後までつきっきりで責任を持って仕上げられるのに感動してしまった。