yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

ハコビが美しかった林宗一郎師の『吉野天人』in 「糺能」@下鴨神社5月20 日

 

『吉野天人」はどんな能?

「吉野天人」、仕舞としては何度となく見ている。つい先日4月には、「林喜右衛門 三回忌追善 林松響会 春の大会」での、舞囃子「吉野天人 天人揃」を林宗一郎師とお嬢さん方、林彩子さん、林小梅さん共演で見たばかりである。ただ、フルヴァージョンでは、「第47回姫路城薪能」(2017.5.12開催)での上田拓司師シテ、江崎正左衛門師ワキの『吉野天人 天人揃』のみである。

なお、『吉野天人』については、「白翔会」の解説をお借りする。以下である。

 吉野の桜を見ようと連れ立って来た都人たち。満開の桜の山に分け入ると、気品のある女性が現れます。この山に住み、花を友として暮らしているというその女性と時を経つのも忘れ、花見をする一行。やがて女性は、じつは天人であることを明かし、ここで信心し、夜を明かすならば、真の姿で現れましょうと約束して姿を消します。(中入)

  澄みきった月光のもと、舞い降りた天人は、花に戯れるかのように美しく舞います。

大和猿楽由来の糺能を下鴨神社で 

さて、今回の『吉野天人』。下鴨神社の能舞台はとても立派である。その能舞台の奥に、神殿に向けて長い橋掛りが設置されていた。普通の能舞台は舞台下手にあるけれど、これは苦肉の策だろう。でも舞台奥から神殿につながっているのも、なかなか趣きがあった。

 いただいたプログラムの解説によると、平成27年に550年ぶりに「糺勧進能」が再興されたという。もともと糺の地では、中世以来勧進猿楽が催されて来ていたという。観世宗家所蔵の「糺河原勧進大和猿楽図」に、その盛大な様が描かれているという。将軍、足利義政、諸大名が臨席するその「勧進猿楽」で、大和猿楽観世座三代目観世大夫の音阿弥と息子又三郎が能を演じている。 

今回は天皇陛下即位を祝い、賀茂祭(葵祭)の後儀としての「糺能」開催とのこと。「新しい御代」を寿ぐという精神が隅々に満ちていた。宮司さんをはじめ、神社関係者のそういう気持ちが、観覧している私たちにも伝わってきた。神社での観能が、能楽堂でのそれとは質的に違った体験になるのを、実際に味わうことができた。人と場とか完全に調和している別世界にいるようだった。

『吉野天人』での演者たち

 そして『吉野天人』!月光のもと(残念ながら、雨でしたが)、薄明かりの中で美しい天女の舞を見るというのは、やはり何にも増して素敵な経験だった。林宗一郎師の天女は前場で、しずしずと橋掛りを渡ってくるときから、すでに異次元の人だった。姿もだけれど、何よりもハコビが美しい。 

後場ではより華麗な衣装に身を包んで、これまたしずしずと登場された。「ホォー!」というため息が周りから聞こえた。かなり後ろ席だったのだけれど、幸運なことに、中ノ舞の袖を翻すハイライト部は、見逃さずに済んだ。地謡が「霞たなびく中、三吉野の雲に乗って天高く消え去って行った」と謡う中、静かに舞は終わったのだけれど、余韻が半端なかった。 

ワキの有松遼一師はいつもながら切れ味の良い台詞回しで、「動」の部分を演じてそつがなかった。岡充師との「合唱」が殊の外、力強かった。

 大鼓の河村大師は地謡方に隠れて見えなかったけれど、笛の杉市和師は手前によく見えたし、よく聞こえた。頭半分だけ見えた大倉源次郎師の小鼓は、いつもながら、明晰で朗々としておられた。前川光範師の太鼓はダイナミックで激しい。太鼓の響きに身を委ねていると、なんとも癒された気分になった。

それ以外の演者さんたちは以下だった。

後見   大槻文蔵 味方團 大槻裕一

地謡   浦田親良 樹下千慧 松野浩行

     田茂井廣道 浦田保浩 浦田保親