夜の部は『祇園祭礼信仰記』と『近頃河原の達引』の二本立て。『祇園祭礼信仰記』は二時間近い長丁場な上、歌舞伎では見せ場になる「爪先鼠の段」が文楽では「見せ場」にならない(?)所為か、そのまま帰ってしまう人も結構いたような。残念。順序を逆にした方が良かったのでは。面白さ、とっつき易さで行けば、断然『近頃河原の達引』ですから。私も何度か見ているけれど、見るたびに新鮮なのがこの『近頃河原の達引』。五年前に見たときもやっぱり感激した。
五年前の演者さんたち
五年前の『近頃河原の達引』、「四条河原の段」と「堀川猿廻しの段」の上演。2014年1月に文楽劇場で見て記事にしている。
「四条河原の段」は、文字久太夫・宗助コンビだった。「堀川猿廻しの段」の「切」は住大夫・錦糸、「後」は英太夫(現呂太夫)・清介コンビだった。人形は伝兵衛を和生、おしゅんを文雀、与次郎を玉女(現玉男)という配役。文雀さん、この時86歳。この二年後に鬼籍に入られた。キリッとしている中にほんのりと色気があり、どういう役をやられても品があった。
今回の演者さんたち
今回の「堀川猿廻しの段」の「後」は、5年前と同じコンビ。残りは入れ替わっている。演者は以下。
四条河原の段
太夫 靖太夫
三味線 錦糸
堀川猿廻しの段
切
太夫 津駒太夫
三味線 宗助ツレ 清公
後
太夫 呂太夫
三味線 清介
ツレ 友之助
人形役割
伝兵衛 勘彌
おしゅん 蓑二郎与次郎 玉也
官左衛門 幸助
与次郎母 勘壽
「コトバンク」からの作品解説
「コトバンク」から作品解説を引用させていただく。
浄瑠璃。世話物。3巻。為川宗輔,奈河七五三助 (ながわしめすけ) らの合作。天明2 (1782) 年春,江戸外記座初演といわれる。元禄 16 (1703) 年に起きた,おしゅん庄兵衛 (劇中ではおしゅん伝兵衛) の心中事件に,元文3 (38) 年に四条河原で起きた公家侍と所司代家来のけんかと,親孝行な猿廻しが表彰を受けた話題をからませ脚色。猿廻し与次郎の家の悲劇を描く「堀河猿廻し」の段は,世話浄瑠璃の代表曲の一つとされ,今日でもしばしば上演される。
見ている間、誰が書いたのかずっと気になっていたので、これですっきり。当時の心中事件を文楽にしたのですね。心中事件を即舞台化するというのは常套だったことがわかる。
津駒太夫の力演
津駒さんの嫋嫋とうたいあげる語りは、他の若手たちとはスタイルが異なっている。「古い型」、あるいは古典的型?伝説になっている津太夫、越路太夫系なんだろうか。当方文楽観劇歴26年になるものの、このお二方は聞いていないので、あくまでも勝手な憶測である。
最近、津駒さんの語りに「やられっぱなし」である。私の大好きな呂勢さんや文字久さんとはかなり違うものの、こういう「攻め方」もあるのかと、聴くたびに感じ入ってしまう。あのくせのある語り方が耳についてしまう。嫋嫋と語るといえば、引退された嶋太夫さんがもっとも相応しいけれど、でも津駒さんのような「嫋嫋」もあるんですよね。直球で勁い球を投げてくる感じっていえば、わかっていただけるでしょうか。情にストレートにくるんです。宗助さんも好きな三味線弾き。ツレの若手の清公さんも若いながら巧い。というわけで、この「切」は聴きごたえがあった。
「猿廻しの段」の見せ場
そして、この演目のハイライトは、なんといっても猿廻しの場面だろう。語りは呂太夫でさすがのレベル。そして、三味線はツレが入って、迫力がある。高木秀樹氏の書かれた「文楽ポータルサイト」の記事(2014/1/10)の解説によると、ここが最大の「見せ場」であることがよくわかる。引用させていただく。
猿回しの演奏は、ツレ弾きが入って三味線が二人になる。ここは十分間ほどを、ほぼ三味線のみで聞かせる。太夫の語りが無い分、三味線の音を存分に楽しむことができ、そこでは義太夫節・太棹三味線の様々なテクニックが駆使される。
確かに、猿廻しのパフォーマンスには語りがつかない。清介・友之助さんの三味線演奏のみ。清介さんの演奏が堂に入っている。観客は三味線の高度、華麗なテクニックに圧倒されつつも、演じられているのが『曽根崎心中』の場面であることで、伝兵衛とおしゅんの結末を予見してしまう。滑稽の中に悲劇を予見させるという、凝った趣向である。猿の演技のおかしさに笑いながらも、恐ろしい結末を感じとり気が滅入ってしまう。伝兵衛、おしゅんの顔に笑いはない。うつむき加減の萎れた二人の姿に、彼らの行く末が暗示されている。高度に劇的な場面である。この入れ子構造の妙に唸る。こういうのに出くわすと、伝統芸能の幅の広さと奥行きの深さに圧倒されてしまう。
猿廻し与次郎を遣ったのは玉也さん。そういえば、最初に、つまり「四条河原の段」で登場された時、客席から拍手があった。きっと彼の与次郎は評判なんですね。その評判通り、猿廻しの段は一境地抜けてる感じだった。