yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

「芸は旅の空で~伊勢大神楽に生きる人々~」(初回放送:2006年)in 「NHKBS プレミアムカフェ」4月12日再放送 

非常に興味深い内容だった。迷わず録画した。

 

「伊勢大神楽」とは?——貴重な記録映像

400年の歴史を持つ「伊勢大神楽」の貴重な記録である。伊勢は黎明期の能楽においても重要な拠点だったところ。この番組を見て、芸能が何を機として発生し、いかに発展してきたのか、またその継承がどのような形でなされてきたのかの一端が見えた気がした。それと日本人の心の原風景が、21世紀の今もこの「神楽」奉納の中に刻まれていることを確認した。

天皇の「祖先」である天照大神を祀る伊勢神宮。天皇の主たる役目は国民と国家の安寧・繁栄、五穀豊穣などを祈る「祭祀」である。その神事の「下部組織」の一つが「伊勢大神楽」といえるかもしれない。(天皇の執り行う)祭祀と(芸能者が演じる)芸能が分かち難く結びついていることを示すものでもある。そしてそこには私たち「民」が介在していることを。

番組紹介

以下に番組紹介をリンク、また解説部を引用させていただく。

伊勢大神楽 舞と曲

伊勢神宮にお参りに行けない人たちのために、約400年前に始まった伊勢大神楽。獅子舞やさまざまな曲芸を披露しながら、伊勢神宮のお札を配るという信仰の形は、今では国の重要無形文化財にもなっている。西日本を中心に旅から旅の毎日を続ける神楽師たちの暮らしと、彼らを笑顔で迎える巡業地=檀那場(だんなば)の人々の記録。

 この番組では山本源太夫、加藤菊太夫の二社中の人たちとその芸の紹介、それに講中と旅で訪れる檀那場の人々との交流を描いていた。また山本勘太夫の若親方を別番組中として紹介していた。

伊勢大神楽講社のHP

国指定 重要無形民俗文化財 伊勢大神楽(いせだいかぐら)講社のホームページをリンクしておく。所在地は「三重県桑名市大字太夫155 増田神社」。

国指定重要無形民俗文化財 伊勢大神楽講社

講は上に挙げたように、山本源太夫森本忠太夫、山本勘太夫、加藤菊太夫、石川源太夫の五組。

舞と曲

「村内各戸で竈祓いを行う際に獅子舞を舞うとともに、村内産土神社境内等で、総舞と呼ばれる芸能を披露する。概ね曲目に「舞」と付くのが獅子舞、「曲」と付くのが放下芸と呼ばれる曲芸で、曲目の間合いにはチャリと呼ばれる道化師と放下師とが万歳を演じる」とのこと。

各曲、舞がどんなものかは、以下のサイトに解説と写真がアップされている。番組中では、舞は「吉野舞」、「劔の舞」、「神来舞(しぐるままい)」、「劔三番叟」が、曲では「水の曲」、「皿の曲」、「献燈の曲」、「魁曲」が紹介されていた。この三種の曲を山本源太夫座の若手、26歳の寺尾寛さんが披露された。華麗な芸。番組放映から12年、現在38歳の寺尾寛さん、今や花形だそう。しっかりと伝承しつつ、新しい芸にも挑戦されているとのこと。頼もしくも嬉しい。また、若い親方の山本勘太夫さんも頑張っておられるようで、いつかこれら五組みのどれか、あるいはいくつかを見る機会があることを願っている。

伊勢大神楽と能

伊勢神楽の情報はまさに「目から鱗」だった。能の源流の一つが曲舞にあることを、昨夏ロンドン大のSOAS図書館で資料渉猟をした折に知ったけれど、改めて得心した。そういえば世阿弥の息子、元雅は伊勢巡業中に亡くなっている。伊勢から滋賀、そして京都にかけては、芸能者が頻繁に往来する地域でもあったんですね。

「曲」には観阿弥が大和猿楽取り入れた曲舞と共通したものがあったはず。また曲芸的なものも、観阿弥は採り入れている。またチャリは狂言との共通点があるはず。録画したので、それがどういう形で能の中に入っているのか確認したい。こういう芸能は伝承される過程で、当然のことながら形は変容してゆく。でも痕跡は必ずや残っているだろう。