yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『小鍛冶 黒頭』in「第47回姫路城薪能」@姫路城三の丸広場特設舞台 5月12日

『小鍛冶』は初めて見る能の演目。期待が高まる。しかもシテはこれまた初めて拝見する演者、杉浦豊彦さん。そして何よりも期待値が高まるのが小鼓が大倉源次郎さんであること。そこに大鼓の山本哲也さん、そして太鼓の中田弘美さんが加われば、期待はマックス。

薪能をそんなに見てきていないので、点火された後の篝火の醸し出す雰囲気に圧倒された。今回は先日見た「風の能」よりも大掛かりな舞台。もっと派手な、野生的とでもいうべき演出だった。ライトアップされた姫路城をバックにして演じられる能は、その演出だけでも見応えがあるけど、演者一同が優れた演者だったので、それが焚火の火、城のライトアップ効果とあいまり、「アカリの競演」の様相を呈していた。

パンフレットに掲載されていた演者一覧と、例によって「銕仙会」の能楽事典から拝借した概要は以下。

演者
シテ 童子         杉浦豊彦
後シテ 霊狐(稲荷明神の使)杉浦豊彦
 
ワキ 三条宗近  江崎欽次朗 
ワキツレ 勅使  大坪賢明
アイ 宗近の下人 山下守之

大鼓  山本哲也
小鼓  大倉源次郎
太鼓  中田弘美
笛   野口亮

概要
時は平安朝、一条帝の御代。ある夜、帝は不思議な霊夢を御覧になった。その夢の告げによれば、新しく御剣を造れとのこと。帝は急ぎ、橘道成(ワキツレ)を勅使として、高名な刀鍛治である三条宗近のもとへと遣すことにする。

三条宗近(ワキ)のもとへ勅使が訪れ、新しく御剣を造れとの勅命を伝える。宗近は、自分に劣らぬ技量を持つ相鎚が居ないからと返答を渋るが、重ねて命令を蒙り、かくなる上は神頼みと、氏神である稲荷明神へ参詣する。そこに一人の童子(前シテ)が現れ、不思議な力を持つ昔の様々な剣の故事を語り、「剣を打ちたくば祭壇を築き我を待っておれ」と告げると、姿を消す。

宗近が祭壇を築いて神に祈っていると、稲荷明神の使いの霊孤(後シテ)が現れ、宗近と力を合わせて天下無双の剣を打ち上げる。完成した御剣は勅使へと献上され、霊孤は稲荷山へと飛び去ってゆくのだった。

三種の神器に象徴されるように、剣には霊的な力があると考えられていて、その剣を打つ刀鍛冶は特別な職だった。ましてやそれが神(『小鍛冶』の場合は稲荷明神)の力添えで打たれた剣ならばなおさらのこと。霊力がある剣。日本武尊の草薙の剣が然り。前シテの童子の宗近へのお告げにも、草薙剣への言及が。草薙素子が童子に重なって見えた。ワクワクするお告げ。平伏する宗近はさしずめバトー?  

勅使役の大坪賢明さん「は姫路親子教室」の卒業生だとのこと。姫路市が教育の場で能の普及に取り組んでいるのは、ステキ。そしてその成果を発表会という形で公の場で披露するのは、子供たちにこれ以上ない励みになるはず。ワキの江崎欽次朗さんも姫路在住の福王流の能楽師。声がとても迫力があるし、個性もはっきりしていた。宗近という大役をされたんだけど、まだお若いんですよね。

後場、ワキが御剣を打つための祭壇(作り物)がアイ方によって運び込まれる。かなりの存在感。これは鍛治師の火床をも表しているのだろう。四つの篝火を前に、赤々と照らし出されるこの火床祭壇。ワキが剣をうつ緊迫感が、作り物の存在感からも伝わって来る。

シテの杉浦豊彦さんが素晴らしい。声よし、姿よし。最初橋掛りに童子の面で登場したとき、いかにも妖精(って言葉がいいのかどうか)のような神秘的雰囲気があった。可憐な感じ。お稲荷さんの使いの狐の感じ、それも小狐の感じを出しておられた。それが正面舞台に来ると、一挙に躍動的になる。そしていとも軽やかに退場する。後シテの面は小書にあるように「黒頭」。「銕仙会」能楽事典の解説が参考になる。以下。

通常の演出では、後シテは赤頭という赤い毛をかぶり、力強い獣(本作の場合には狐)であることが表現されるのですが、この小書(注「黒頭」)がつくと黒頭という黒い毛をかぶり、神秘的な霊力を放つ存在であることが表現されます。後シテ霊狐の、獣としての性格よりも、霊力をもった神の使者としての性格を強調する演出となっています。(略)後シテが赤頭ではなく黒頭をかぶることは上述のとおりですが、それに伴い能面も変化します。すなわち、通常の演出であれば獣をあらわす「小飛出」を用いるのですが、この小書がつくと「「狐蛇」という、金色に彩色された、どこか恐ろしさすら感じさせる面を用いることとなり、後シテのもつ霊力がより一層強調されることとなります。

通常後シテは恐ろしい面をつけて出て来るのだが、例にもれず『小鍛治』もそう。ただ、黒い頭のわりには面差しは柔らかめ。それは狐だからだろう。それも小狐。小狐といえば、歌舞伎の『千本桜』の狐忠信を連想してしまうためか、「可愛らしい」イメージ。神秘性と愛らしさと。それが刀に彫られた「小狐丸」の銘に表れている。タイトルの「小鍛治」もそれを表しているのだろう。

杉浦豊彦さんのシテは霊力を持つ狐を可愛らしく演じられて秀逸。恐ろしい面をつけた狐が舞台を力強く舞う姿が美しい。四つの篝火と、それらが煌々と照らし出す火床祭壇を前にして舞う。

囃子方の演奏、ここでは大鼓、小鼓、太鼓、笛、すべてが最大限に力をこめ、シテの舞を鼓舞する。演奏が速くなる。どこまでもどこまでも速くなる。ダイナミクな神楽のよう、でもそれ以上の動的なエネルギーが放出されている。舞と囃子の音色が渾然一体となってクライマックスに達する。

ここでポツポツと雨が降り出した。屋根のない屋外仮設舞台なので、神主さんたちが演者に傘をさしかける。観客は立ち去ろうとソワソワ。先日の「篠山春日能」の時も終盤で雨が降り出したけど、お客さんたちは礼儀正しく最後までご覧になっていた。前列の人は少なくとももう少し我慢をして欲しかった。私は前から6列目あたりに座っていたけど、帰ってゆく人の多さに呆れ、腹を立てていた。マナー悪い。

まあ、予報は雨だったので、ほとんど最後まで天気がもったのは良かったのかも。雨だったら公会堂のようなところで演じられることになっていたから。薪能のあの雰囲気は出なかっただろう。