yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

沖浦和光著『陰陽師の原像 民衆文化の辺界を歩く』岩波書店 2004年刊

前の記事に書いた『旅芸人のいた風景』と上記の本二冊を読み比べ、それらで提出されている「仮説」に興奮した。先日歌舞伎座で染五郎、海老蔵、勘九郎演じる『陰陽師』をみたばかりだった。でもあれがロマンチック、あえていえばマンガチックだったのに比べて、この本はその対極にある。陰陽師の由来、そして陰陽道の浸透と発展、そして消滅への経緯がつぶさに調べられ理路整然と論じられていて、実に興味深い。

沖浦氏の主な著書は以下である。
『日本文化の源流を探る』(解放出版社、1997年刊)
『幻の漂泊民・サンカ』(文藝春秋, 2001年刊)
『陰陽師の原像 民衆文化の辺界を歩く』
『「悪所」の民俗誌 色町・芝居町のトポロジー 』(文春新書, 2006年刊)
『天皇の国・賤民の国―両極のタブー』(河出文庫、2007年刊)

文化人類学、歴史に属する研究で、「ニュー・ヒストリシズム」を彷彿とさせるところもある。ニュー・ヒストリシズムがそうであったように、マルクス主義の臭みも多少ある。私がアプローチするとなると、やっぱり文学としての視点をとることになるから、方法論的には沖浦氏とはかなり違ったものにはなるだろうけど。

沖浦氏の関心のそして研究の原点が、彼の幼い頃の体験にあるというのが、これらの著書からもよく分かる。前の記事にも書いたが、箕面に住んでいた幼い頃、父に連れられて今は明治村に移された池田呉服座に通ったという。その後、家が逼塞、一家は西成に移り住む。遊び場になった「新世界」、そしてそこに生きる人たちは、文字通り今まで体験したことのない世界を彼の前に拓いてみせた。彼は世の中の裏の顔をつぶさに見聞することになった。それがこれら一連の、生涯かけての研究をする原点になったと彼はいう。ちょうど田辺、(大阪府西成郡木津村、現在の大阪市浪速区敷津西1丁目)に生まれ育った折口信夫が「まれびと」論を打ち出したのと同様に。

刺戟的な題材に満ちあふれた『陰陽師の原像』であるが、もっとも興味深かったのは第七章、「近世役者村の起源」だった。播州高室(現在の北条市)の村民のほとんどが役者で、旅回りをしているという村だったという。この地はそれ以前には陰陽村だった。私の母の郷里は播州宝殿で、ローカルな陰陽師が多数いたという飾磨にも親類が大勢いた。母の一族は代々続く石屋だったそうで、おそらくは古代の渡来人の子孫だったと思われる。陰陽道自体が渡来人がもたらしたもので、それに携わる人たちも渡来人系だったと沖浦氏はいう。また、のちにそれが芸能と結びつき、播州歌舞伎の祖になったというのが沖浦氏の仮説である。

彼が紹介している民衆芸能の源流について、そして播州歌舞伎の研究書は読むつもりである。加えて折口信夫の著作集を攻略しなくてはと考えている。折口については、ずっと読みたいと思いながら、なかなか果たせなかったけど、仕事を辞めたら時間の余裕ができるはずなので、そのときを楽しみにしている。