yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

沖浦和光著『旅芸人のいた風景』文春新書 2007年刊

箕面に幼いころ住んでいたという沖浦氏、歌舞伎好きの父に連れられて池田の芝居小屋に頻繁に行ったという。もちろんこれは明治村に移転した「呉服座」(くれはざ)だろう。「呉服座」は「ごふくざ」として池田に「復活」している。

播州の東高室というところに「役者村」があり、村民の六部(60パーセント)が役者だったという。実際には残りの40パーセントも何らかの形で旅回りの座に関係していた。旅興行の座としていくつかのものがあったが、残念ながら残存する資料がきわめて少なく、実態は確かめようがない。文化文政期にはこの播州のみならず隣接する作州(現在の岡山県)だけでも十数座が活躍していたと、沖浦氏は推測している。

東高室は現在の加西市にあたる。車で行くしかないかなり交通の便の悪いところである。近いうちに時間を作って、この東高室の役者村、そして岡山の旅芝居興行の座の名残を訪ねてみたいと考えている。資料が少ない上に、旅興行に関わった、あるいはそれをみた人がどんどん亡くなっていっている現状では、どの程度意味のあるフィールドワークができるかは疑問ではあるけれど。

私の母方の郷里は播州の現在の宝殿、加古川の辺りで、母によると私の祖母は旅芝居を観ていたという。私が限りなく旅芝居に惹かれるのもDNAなんだなと納得している。播州、作州の辺りが昔から旅芝居との関係が深かったことを、沖浦氏のこの本から初めて知った。こういう研究もあまりない上に関心をもつ人も少なく、情報の蓄積のみならずその分析、評価といったこともされてこなかった。だから、なんとしてもきちんとした形にしたい。

沖浦氏は大衆演劇のみが、「institutionalize」されていない芸能のパワーを脈々と今に伝えているのだという。浪速クラブやOS劇場へも年に何回かは足を運ぶのだそうだ。