日経文化欄今日朝刊の記事。執筆者は日大教授の田中徳一氏。非常に興味深く読んだ。冒頭を引用する。
戦前に芝居の海外巡業といえば、川上音二郎・貞奴や花子の名が浮かぶ。だがもう一人、世界恐慌下に欧米22カ国を巡り、反響を呼んだ役者がいた。今では知る人もない筒井徳二郎(1881—1953)である。
独でブレヒトに刺激
私が初めてその名に接したのは、ウィーン大学教授サン・キョン・リー氏の「東西演劇の出合い」を翻訳中の20年余り前。ドイツのブレヒトが刺激を受けたらしいことを知り、興味を持った。
田中氏はその後新聞の芸能欄、辻番付などを調べてゆく過程で、この筒井徳二郎が大正後期から昭和初期に京阪神、中京、九州などで剣劇役者として活躍したということを知る。ただ、詳しいことは不明だったという。その後、筒井が漫才師、大阪福多郎の死傷だった事実をつかむ。かれの前歴日経文化欄今日朝刊の記事。執筆者は日大教授の田中徳一氏。非常に興味深く読んだ。冒頭を引用する。
戦前に芝居の海外巡業といえば、川上音二郎・貞奴や花子の名が浮かぶ。だがもう一人、世界恐慌下に欧米22カ国を巡り、反響を呼んだ役者がいた。今では知る人もない筒井徳二郎(1881—1953)である。
独でブレヒトに刺激
私が初めてその名に接したのは、ウィーン大学教授サン・キョン・リー氏の「東西演劇の出合い」を翻訳中の20年余り前。ドイツのブレヒトが刺激を受けたらしいことを知り、興味を持った。
田中氏はその後新聞の芸能欄、辻番付などを調べてゆく過程で、この筒井徳二郎が大正後期から昭和初期に京阪神、中京、九州などで剣戟役者として活躍したということを知る。ただ、詳しいことは不明だったという。そのは新派役者だったという。彼と実際に「勧進帳」で共演、巡業したという元歌舞伎役者の牧野正氏という人と巡りあう。牧野氏いわく、「どんな役でも即座にこなせた方で、あれほど器用で巧い役者を他に知りませんね」。
田中氏はさらに調査を続けて、筒井と一緒に巡業した元座員の遺族、さらには海外各地の公演プログラムを集め、また各地の図書館で資料に当たったという。それによって22カ国巡業の軌跡とその反響の実態が明らかになったという。以下そのあらまし。
身体演技で観客魅了
筒井は一座22人で30年1月、日本演劇の米国進出を狙っていたロサンジェルスの日系人興行師の招待で渡米。[略] 在米舞踊家・伊藤道郎が演出を担当し、筋を単純に、セリフを少なく身体演技を強調して上演。演目は歌舞伎、「鞘当」、「京人形」の翻案、剣戟の国定忠治物など。
このあと、筒井はパリに進出、大成功を収めた。欧州中でひっぱりだこにり、1年3カ月にわたり欧州22カ国の70カ所を回り、「世界の剣戟王」と讃えられたという。フランスのジャック・コポーは筒井に、「こんな美しい芝居があるのに、何故日本人は嫌な近代の泰西劇を真似するのだろう」と言ったという。
歌舞伎があれほどまでに洗練されているのは松竹というパトロンがつき、お金をかけているのだから当然、でも大衆演劇のトップクラスの劇団は大きなパトロンもなく、やってゆかなければならない。演目は日替わりである。それでも(といよりか、だからこそというべきか)歌舞伎を超えるものを提供できる。筒井徳二郎が「どんな役でもこなせた」のは、彼が毎日演目の替わる「旅芝居」に身をおいていたからだろう。現在の大衆演劇(旅芝居)もまさにそれとおなじ厳しい状況下で優れたperforming artsを提供している。筒井と同じく世界に打って出れば、間違いなく多くの人がジャック・コーポと同じ感慨を持つだろう。