もう、ホントに圧倒された。その「過激」に。
もはや伝説になっている感のあるコクーン歌舞伎、『四谷怪談 』を初めて観た。1994年に第一弾、そして2006年に第七弾の公演があった(らしい)。平成中村座とはまた違った演出だったようで、観ておかなかったのが残念。今回の公演を観て、それを特に強く感じた。
Wikiで当たってみたら、串田は1969年に観世寿夫と東ドイツに渡っていたのですね。観世と串田という組み合わせ、そこに東ドイツ(ベルリン)が代入されれば、戦後の前衛演劇黎明の風景の一つが浮かび上がる。もちろんブレヒトを通奏低音として。ギリシア悲劇を能作品として舞台化した観世寿夫。『心より心に伝ふる花』を最近読み直して、能を解体・再構築するという彼の果敢な挑戦に感動したところだった。
串田自身ブレヒトについて「影響を受けた」と、パンフレットに掲載されている田中徳一氏との対談で述べている。能とブレヒトの「異化効果」(alienation effect)について、今回発表するつもりだったので、思わず膝を打った。彼の『上海バンスキング』は映画でみただけなのであまりピンとはこないのだけど、でもブレヒトの影響は絶大だったのだろう。だから、この『四谷怪談』は、歌舞伎のブレヒト的解釈とでもいうべきもの?ブレヒトの異化効果については、能の影響があったのではという研究書を最近読んだばかり。串田はパンフレットで歌舞伎の影響云々って言っているのだけど。能では舞台が開放型になっている。今回の舞台はまさにその形式が採用されていた。
今回、「あれ、上海バンスキング?」と既視感があったのが、楽団のジャズ演奏が随所に入っているところ。なんでもありの猥雑さ。この「雑音」(を演奏する楽団員)が時としては前景に出てくるというのは、まさに異化効果。串田は特にここのところにこだわりがあるように感じた。まさに身体に染み付いたリズムになっているのでは。この随所に入るジャズ演奏はいわゆる下座音楽を排した今度の演出で唯一の音楽。下座がジャズ、それもページェントで演奏されるようなものとなると、いやでも高まるのが祝祭性。ブレヒトの『三文オペラ』が下敷きになっていたのかも。
もう一つの印象的な異化効果が黒衣の使い方。能、人形浄瑠璃、歌舞伎といった日本の古典演劇では黒衣は「見えない」、つまり透明人間的な扱いを受けるのだけど、この『四谷怪談』は黒衣だらけ。舞台スチールにはオフィスロビーを一方方向に歩くスーツ姿の人の群れが使われているが、この人の群れの「人」が黒衣の役を果たす。スーツを着た人、大正時代(?)の洋装の人、劇中のエキストラたち、楽団員、ときには登場人物自体が時として黒衣に変身。舞台装置を設置したり、外したりする。舞台は幕のない完全なオープン型なので、小道具、大道具のたぐいで場面を決めてゆく。その装置類を動かすのがすべて黒衣たち。スムーズに流れるように動く。その間を縫うようにして人物が登場し、場面転回が完了する仕掛け。
この黒衣の「利用」は、芝居が「ムーブメントの渦中にある」感を打ち出すのに成功していた。ムーブメントとはもちろんルーティーン化した日常を超えたもっと大きな流れ。有為転変、「transience」とでもいうべきもの。これによって、出来事のみならず人は絶対的な悪、絶対的な善というものでなく、移り変わってゆくものであると示される。普通、伊右衛門はいわゆる色悪で、悪の権化?扱いなのに、この『四谷怪談』ではそう描かれていない。流れに逆らうことのできなかった男として描かれていたように思う。まあ、今回のものは彼が主人公ではなく、直助、お袖が中心人物になっていたからかもしれないけど。その直助にしても善悪の価値観でもって割り切れない人物として描かれている。しかも最後に、南北ならぬ黙阿弥ばりのあっと驚く展開があったりする。
もう一つの異化効果は背景。最初の場面で設置されている大きな不動明王像。あまりの異様さ。その後ろの幕には煩悩を焼き尽くす烈火の炎が描かれている。そこを例の黒衣たちが行き交うサマはまるで地獄で右往左往する餓鬼のよう。不動明王以外にも空中に浮かぶ籠に入っている男女の人形も、もう一つの異化効果を狙ったもの?最初から出てくるこの人形、まるで舞台での男女の色恋模様の虚構性を際立たせているかのよう。人形といえば、天井からぶら下がるからくり人形も異様。この人形は最終場面でも効果的に使われていた。
舞台チラシが以下になる。
パンフレットにたびたび「北番」、「南番」というタームが出てくるので、何だろうと思っていたのだけど、以下の解説で腑に落ちた。第七弾の「北番」の演出を担当した串田和美が今回の『四谷怪談』を演出するということで、評判になっていたのだった。
舞台紹介サイトに以下のような解説があった。
進化を続けるコクーン歌舞伎 新演出で幕を開ける――誰もみたことのない『四谷怪談』
1994年に十八世中村勘三郎(当時=中村勘九郎)と演出家・串田和美(当時=シアターコクーン初代芸術監督)の強力なタッグにより、第一弾『東海道四谷怪談』で華々しく幕を開けた「渋谷・コクーン歌舞伎」。2016年は第十五弾として『四谷怪談』を上演いたします。
原作は文政8年(1825)に大作者・四世 鶴屋南北によって書かれた『東海道四谷怪談』。長きにわたり日本人の心を掴む「忠臣蔵」の外伝であり、日本で最も有名な怪談話のひとつです。 コクーン歌舞伎では、1994年に記念すべき第一弾として上演。2006年の第七弾では、第一弾の再演として進化させた《南番》と上演機会の少ない「深川三角屋敷の場」に焦点をあて、直助とお袖の悲劇を浮かび上がらせた《北番》という二つの異なるプログラムで上演。特に《北番》では演出の串田和美が、第14回読売演劇大賞の最優秀演出家賞を受賞するなど話題を呼びました。『四谷怪談』は、コクーン歌舞伎の中でも絶大の人気を誇る作品であり、古典に新たな風を吹き込むコクーン歌舞伎の原点といえる作品です。
この『四谷怪談』は本来なら伊右衛門(中村獅童)が主役を張るところを、「北番」なので、直助権兵衛役の中村勘九郎とお袖役の七之助が主役。この二人がなんといっても出色。今の若手では文句なしのナンバーワンだろう。『阿弖流為』の舞台の完成度の高さがこの二人と染五郎の熱演にあったのは間違いないところ。あいにく染五郎は今月は歌舞伎座に出ているので、勘九郎、七之助がその分がんばったに違いない。それにコクーン歌舞伎の常連だった扇雀、亀蔵なども加わって、歌舞伎側の役者陣は盤石。笹野高史ももちろん参加。さらに「異業種」からダンサーの首藤康之、小劇場の大森博史、真那故敬二が参加。これをみただけでも、なにかが生まれ出る胎動のようなものが感じ取れる。
ここまで過激な舞台を人は放っておかない。もちろん立ち見の出る大盛況。私は結構早く松竹歌舞伎サイトから予約したのだけど、三階席。一等席を確保すれば良かったと後悔。一階上手の舞台横ベンチ席がいちばんいいかも。勘九郎や七之助がすぐ前に座り込む場面が何度もあったから。勘九郎に至っては、ほぼ褌一丁なんてことも。一階席のいいところは、役者がすぐ目の前をウロウロするから。とはいえ、座席総数700程度なので、どこからでも舞台は近い。この実験歌舞伎、串田が芸術監督をしている松本でもすでに上演済み?『阿弖流為』同様、「シネマ歌舞伎」になれば見に行きたい。