yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

オペラ『イル・トロヴァトーレ』Il Trovatore@ミラノ・スカラ座3月7日

ジュゼッペ・ヴェルディ作曲 全4幕
Wikiの日本語版をリンクしておく。

以下がこの日のプロダクション。

Conductor 指揮
Daniele Rustioni
Staging, sets and costumes 舞台装置、コスチューム
Hugo De Ana
Lights 照明
Marco Filibeck
Weapons Master 殺陣指導
Renzo Musumeci Greco


Il Conte di Luna ルーナ伯爵
Franco Vassallo
Leonora レオノーラ
Maria Agresta
Azucena アズチェーナ
Ekaterina Semenchuk
Manrico マンリーコ
Marcelo Álvarez
Ferrando フェルランド
Kwangchul Youn

4幕のあらましは以下。

第1幕「決闘」Il Duello:ルーナ伯爵の居城
第2幕「ジプシーの女」La Gitana:ビスカヤの山中
第3幕「ジプシーの息子」Il Figlio della Zingara:野営地―城の礼拝堂第4幕「処刑」Il Supplizio:ルーナ伯爵の居城

私が聴いた主たる独唱。
第一幕
マンリーコ、レオノーラ、ルーナ伯爵の三重唱
第二幕
「炎は燃えて」Stride la vampa: アズチェーナのアリア
「君の微笑み」Il balen del suo sorriso: ルーナ伯爵のアリア
第三幕
「ああ、美しい人」Ah si, ben mio: マンリーコのアリア
「見よ、恐ろしい炎を」Di quella pira: マンリーコのカバレッタ

オペラの始まりは午後8時。最後まで観ると12時になるということで、11時前に劇場を出た。第四幕は冒頭部しか聴いていない。残念。2000人近く入るスカラ座。満員だったので、観客の三分の一がタクシーをつかまえるとしても帰りがべらぼうに遅くなってしまう。泣く泣く早退した。イギリスでもプラハでも、もちろんNYでも終演はもっと早い。これもイタリアンカルチャーなんでしょう。オペラの前にはゆっくりと食事するという習慣なので。幕間を30分でなく、もっと短くしても良いし、もっと良いのは開始時間を7時にすること。そういう「合理性」はイタリアにはない。

字幕はなかった。あるものと思い込んでいたので、これもショックだった。バルコニー席だったのだが、椅子の前に小さな画面でイタリア語の字幕はあった。こんなの、意味ないでしょう。イタリアはフランス以上に「中華思想」が徹底した国なんだと、改めて納得。

私の席は4人入るバルコニー席の後ろ側。残念ながら座っていると舞台の大部分が見えない席だった。ずっと立ったまま観劇した。これだと上手が少し隠れるくらい。平土間席はチケットをネットでとったときにすでに埋まっていた。世界中から人が来ているので、仕方ない。バルコニーの私の前はドイツ人夫婦だった。半分が観光客だと思う。もちろん!日本人も10人以上いた。ほとんどがカップル。それも中高年がほとんど。チケット自体が高いので当然かも。私の席で日本円に直して1万2千円ほどもしたから。まあ、去年日本にやってきたスカラ座オペラのチケットは2万円から7万円(?)もしたことに比べると、「安い」のかもしれない。

レオノーラ役のMaria Agrestaは、世界トップの劇場のプリマにしては最初あまり声に伸びがないように思えたが、次第にさすがと感じた。声質にそう恵まれているように聞こえなかったのだが、演技力がすばらしかった。肥ったおばさんが美しい乙女に見えてきたから不思議。オペラグラスで見るとよくわかった(ちなみにオペラグラスを使っている人が少なくてびっくり)。とくに顔の表情のつけ方が映画俳優なみに細かかった。今までにみた歌手の中でもトップクラス。一方のマンリーコ役のMarcelo Álvarez。この人も声量がちょっと細く今いちだった。それに演技の方も今いちで、ルーナ伯爵役のFranco Vassalloに負けていた。若い女性ならまちがいなく伯爵の方になびきますよ。

Franco Vassalloさんはテナーに近いバリトンで、奥行きのある声が伯爵という役に相応しかった。憎まれ役なんだけど、魅力的だった。あらすじを読むと実に悪い奴なんですけどね。これはある意味、儲け役かもしれない。善良なヒーローを描出するのはかなり難しいにちがいないから。それにしてもマンリーコはもう少しヒーローらしく演じてほしかった。単調すぎた。

もうひとつの儲け役(?)のアズチェーナ役のEkaterina Semenchuk、若すぎた。メーキャップをしているし、動作もそれらしくしてはいたのだけど、迫力がなかった。演技力の問題なんだと思う。アリアはそこそこ良かった。

全体的にちょっとがっかり。スカラ座ということで、期待しすぎていたからかもしれない。それとも私のみたプロダクションがもうひとつだったのかも。歌手たちが比較的若く、経験もそれほどないというのが良い方向に働いていなかったように思う。

それにしてもこのIl Trovatore 『イル・トロヴァトーレ』、実に面白い内容なんですよね。きちんと予習しておけばよかったと、後悔。なんていうかまさにフロイトの精神分析を適用して解読したくなる内容。機会があればまた聴きたい。それに原作も読んでみたい。