なんとも豪華な演者たちがそろった。「上田村の段」のクライマックスの場では大夫が住大夫さん(人間国宝)、三味線、錦糸さん、そして壇上には主人公の半兵衛を遣う桐竹勘十郎さん、その妻お千代を遣う蓑助さん(人間国宝)、千代の姉おかるを遣う文雀さん(人間国宝)、そして千代とおかるの父、平右衛門を遣う桐竹紋壽さんと、文字通り文楽界最高峰の人たちが一堂に会していた。壮観だった。そして圧巻だった。以下は主人公二人(半兵衛と妻お千代)の心中場面の写真。公演筋書きより。
妻お千代が姑から暇を出され父のところへ帰ったとも知らずに、故郷の遠州浜松からの帰り道に平右衛門宅に立ち寄った半兵衛。奥には病床にある平右衛門に『平家物語』の「祇王の段」を読み聞かせているお千代がいる。平右衛門が半兵衛を清盛に、そしてお千代を祇王にひき比べて、「えぇ、憎や清盛」というところは胸に迫る。もちろん半兵衛も同じである。このとき観客席に向かって舞台には下手に半兵衛とおかる、上手の一間に平右衛門とお千代と、四人が居並んでいる格好になっている。どの遣い手も一歩もひかない、一歩も譲らない緊迫した気の張りつめた舞台である。
そしてその緊迫感は半兵衛が自害しようとする場面でクライマックスに達する。自害が中断された後の平右衛門との和解、お千代と手を携えての出立へと続くことで危機は一旦収束したかに見える。これはお千代との復縁を意味するようで実はそうではない。なぜなら、死を連想させる不吉な水盃を酌み交わし、これまた死者を送る門火を焚いての見送りとなっているから。近松門左衛門渾身のこの場最後の語りは、「『灰になっても、帰るな』と、そのひと言をこの世の名残、留まる名残、行く名残、長き名残と」で終わる。これは近松最晩年の作品だが、初期の『曾根崎心中』の道行き場面の台詞、「この世の名残」がそのまま使われている。これで二人の心中が暗示されているわけである。
語りの住大夫さんも例のしゃがれ声で、お千代の可憐さ、おかるの温かみのある凛としたところ、平右衛門の一徹さ、半兵衛の武士出身らしい品格と同時に軟弱さといった性格を絶妙にうたいわけておられた。彼が語るとまるでその人物がほんとうに語っているように聞こえるから不思議である。なんせあのしゃがれ声なのだもの。
次の「八百屋の段」の語りは私の大好きな嶋大夫さんだった。4月公演の際よりも血色もよくなりお元気そうだった。彼の自家薬籠中の世話物の口説き、健在だった。というよりもパワーアップしていて、波動がびんびんと伝わってきた(前から3列目、上手端から3つ目の席という床前の席だったので)。何度も身体を起き上がらせての大熱演。会場もそれに合わせてヒートアップという雰囲気で、楽しかった。半兵衛の養母を演じる時の憎たらしさが抜群だった。お千代を嫌う理由がなんとも理不尽で、それをつらつら口説きで語るところは、思わず笑ってしまう可笑しさである。ノリに乗って演じられるので、こちらも思わず同調している。そういえば文楽の観客の笑いの反応がきわめて素早いので、驚いた。大衆演劇のお芝居では「ここで笑う」ってなときでも、私一人が笑っているなんてことがよくあるので。
最後の「道行思ひの短夜」は数人の大夫で語りを担当された。ここでも私の好きな文字久大夫さんがお千代を語られたので、ワクワクしながら聞いていた。そして、なんと三味線も大好きな富助さんだったので、二重にうれしかった!
ここで感動したのは二人が自害して果てる最期の場面で、死んだお千代が横たわっているので蓑助さんも一緒にしゃがみ込んでおられたことである。お千代が死んでから半兵衛が切腹するまでけっこう時間があるのに、その間ずっとその姿勢を保っておられた。完全に人形と一体になっているというのが直に伝わってきた。彼の遣う人形の動きは実に繊細!品の良さでは追随をゆるさない。実際の人間の生クササさがない分、光り輝く神々しさである。どうかずっとお元気で舞台に立たれますことを!
この最期の場で近松の円熟を思わせる部分が、お千代のお腹のなかの胎児を思っての口説きである。例えば『曾根崎』にしても「冥途の飛脚」にしても、死後の親の嘆きを思いやって泣く場面はあるけれども、お腹の子供、二人が生きていればこの世に生まれ出て未来があった子供を自らとともに葬り去るという親の嘆きは、はるかに身につまされるものである。観客もしんみりとしていた。この日は男性観客が4割程度と多かったのだが、彼らも心で泣いていたようである。近松も晩年にはより幅をもった人情を描こうとしていたのだろうか。
8日(月)の千秋楽も行くつもりにしている。
以下今回の公演のプログラムである。