yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

ペーター・ヴァイスの『マラー/サド』と佐藤信の『翼を燃やす天使たちの舞踏』

以前に佐藤信の『翼を燃やす天使たちの舞踏』について言及したのだが、この芝居は残念ながらみていない。ペン大のクラスで書いたペーパーはあくまでもスクリプトをもとにしたもので、彼の芝居の性質上、おそらくかなりの即興が加味されていたことは間違いない。

資料集めをしていたとき、この芝居がドイツ生まれの劇作家、ペーター・ヴァイス(Peter Weiss)の『マラー/サド』を下敷きにしていると知った。ちょうどその頃、フィラデルフィアから車で30分ほどのスワスモア大学のすぐ近くの劇場でこれを上演することを知った。友人に車を出してもらって、『マラー/サド』を観に出かけた。わざわざ出かけただけのことはあった。その前に英語翻訳で台本は読んではいたけれど、予想したものと実際の舞台とではかなり違っていた。舞台の方がはるかに「過激」だった。

タイトルからも分かるようにマラー暗殺を描いた舞台である。下手人はシャルロット・コルデー。以下にWikiにある事件の記述である。

(シャルロットは)1793年7月9日、叔母の家から、パリに単身上京した。7月13日、人民のために門戸を常に開いていたマラーを訪ね、彼らに対して陰謀がめぐらされていると言って傍に近づいた。皮膚病を患っていたマラーは、浴槽からそれを聞いていたが、シャルロットが隠し持っていた包丁で心臓を刺され絶命する。
シャルロットはその場で逮捕され、17日、革命裁判で死刑の判決を受け、その日のうちにギロチンによって処刑された。

ヴァイスの芝居はこの浴槽でのシーンをドラマチックに描いたものだった。役者たちが大声で叫びながら舞台だけではなく、客席をも走り回り、観客を巻き込む戦略が採られていた。今となっては細部よりも、役者たちの荒々しさ、ダイナミズムのみがありありと蘇ってくる。いちおう台本は読んでいったのだが、そのとき思い描いた舞台とはかなり違っていたのがショックだった。

『翼を燃やす天使たちの舞踏』もそう思って読み返すと、そのカオス的なダイナミズムはそのまま移植されていた。とはいっても実際の舞台を観ていないので、断言はできないけれど。佐藤はもうこの芝居の上演をあきらめてしまったのだろうか。