yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『サド侯爵夫人』を演出できる演出家はもう出ない?三島由紀夫没後五十年、時代は未だ彼に追いついていない

今日は2020年11月25日、三島が市ヶ谷の自衛隊駐屯地で自決してから50年経過した。しばらく前からネットに連日のごとく三島関連の文章があがるようになっている。どれもが駄文や程度の低い憶測文の域を出ないので、目につくだけでも忌まわしく思える。特に嫌なのが、関係者当人ではなくその親戚にあたる人へのインタビュー記事である。ジャーナリストのレベルが昨今落ちているのがよくわかる。おそらく三島そのものを読んだこともない人たちだろう。何か救いようのない齟齬を感じて、愕然とする。彼の書いた文章をきちんと読まずに三島を語らないでほしい。彼の作品に敬意を示してほしい。

ネットに上がった三島評の中に野村萬斎氏の「言葉の呪縛力に衝撃」なんてものもあった。確かずっと以前に(調べて2012年、世田谷パブリックシアターと判明)『サド侯爵夫人』を演出していますね。今サイトで見ると、女優陣はレベルが高そうではある。ただ残念ながらみていない。その一部を以下にアップする。

比類なき優雅な言葉で飾り立てながらも烈しく交錯し、衝突する女性6人には存在感が際立つ女優が揃いました。ルネ役に蒼井優、アンヌ役に美波、シミアーヌ男爵夫人役に神野三鈴、シャルロット役に町田マリー、そしてサン・フォン伯爵夫人役に麻実れい、モントルイユ夫人役に白石加代子を迎えます。

演出は、かねてより三島由紀夫の秀麗な文体に魅せられ、注目を続けていた野村萬斎。
600年の歴史を持つ能・狂言の体現者・伝承者として、日本語の響きの美しさを知る彼が“言葉による緊縛”に主眼を置いた演出に挑みます。

『サド侯爵夫人』の本舞台を見たのは1996年の吹田メイシアターにおいてだった。渡邊守章氏演出。女優陣は、剣幸峰さを理加藤美津子小川敦子入江純後藤加代。全員宝塚出身ということで、あまり期待していなかったのだけれど、予想を裏切って素晴らしかった。これはヨーロッパ公演の凱旋公演だった。ヨーロッパでも高い評価を受けたと聞いている。当日のメイシアターは観客数が少なくて、拍子抜けだった。渡邊守章さんが前方客席からささっと通路の段を駆け上がり近くの席に座られた。演出家として全方位的に舞台に責任を持っておられたのだろう。まだお若かったんですね。その頃彼が観世寿夫師たちと組んで革新的な試みをしておられたことは知っていたけれど、三島をここまで演出できる人だとは知らなかった。渡邊氏は「萬斎偏愛」なので、萬斎さんはご自分の演出について直接意見を求めたのかもしれない。

海外でもこの作品は大人気で色々なところで上演されている。独特のくさみというか三島ならではの衒学性は日本というよりも西欧演劇のくさみに近いと思う。パリでもロンドンでも絶賛されたに違いない。

私がこの作品に立ち会ったもう一回は、アメリカのサウスカロライナ大での学生演劇の「舞台」だった。学会で出かけたサウスカロライナ大学で、演劇専門の教授が演出し学生出演の『サド』の朗読劇は予想よりも出来栄えがよく、驚いた。フロアの学生たちの多くがこの作品がフランス人の手になると思い込んでいるのにも、もっとびっくりした。硬質なセリフとジャン・ジュネを思わせる気取り。あれは日本の演劇のテクスチャーとはズレていて、どちらかというとフランス的?だからか。それにしても素人が朗読するだけで、舞台が立ち上がってしまうという『サド』の言語乱舞のすごさに、改めて思い至った。

最初にみた『サド』の演出がフランス演劇に通暁された渡邊氏によるものだったのが、幸運だったと思う。あのおしゃれさというか風刺、ひねりが華麗な文体に点描する面白さは、日本の劇作家ではなかなか出せないところを、三島はいとも簡単に、軽々と操ってみせる。客が唖然としているのを、「やった!」(?)ってこっそりと舞台裏で笑っていたのかもしれない。全能感に浸っているかもしれない。渡邊氏の演出はそれを全面的に受けてのものだった。ご本人が衒学そのものですものね。

私の手元に新潮が出した『三島由紀夫没後三十年』特別号がある。未発表の小説2編と評論5編それと十代詩篇、さらに「『金閣寺』創作ノート」が収められている。どれもに三島文体が華麗に展開している。またエッセイ寄稿者も佐伯彰一氏、野口武彦氏とレベルが高い。ジャーナリスティックなアンケートなんてものもあるけれど、それでも一定のレベルを保っている。何よりも三島への敬愛が伝わってくる。とてもユニークなのが橋本治氏の「『三島由紀夫』とはなにものだったのか」で、昨今の世相に被っている。その最終ページの魚拓を当記事の最後にあげておく。この新潮版は博論を書き上げてアメリカから帰国してから入手したもの。これほど充実した特集号は今後は出ないと思う。昨今の物書きの堕落ぶりを見る限り。

没後三十年にあたる2010年11月25日はペン大の大学院にいて、カントの「判断力批判」クラスに出ていた。授業前に隣に座ったドイツ人留学生が読んでいたのはシュピーゲル紙で、そこには見開き全面2ページにわたる三島特集記事が載っていた。彼女からドイツでも三島が高い評価を受けていると聞き、うれしかった。

最後に橋本治氏の慧眼を示す三島評を魚拓しておく。現在の皇室の惨状と思い合せてしまった。

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