yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

二人の「時分の花」—野村萬斎さんに羽生結弦さんの「SEIMEI」が被った—京都造形芸大春秋座企画「能と狂言」公演@京都芸術劇場春秋座 2月12日

能は観世銕之丞師シテの『井筒』、狂言は野村万作、萬斎お二方の『川上』だった。公演前に恒例のプレトークがあった。渡邊守章氏、天野文雄氏、それに片山九郎右衛門師が加わってのもの。

2日前に羽生結弦選手が復活させた「SEIMEI」をみて、感激を新たにしたところだった。その直後に今なお若い萬斎師を直接拝見し、「何か見えない糸があるのかしらん?」と、勝手に喜んでいる。そういえば羽生結弦さんはまさに「時分の花」なんですよね。萬斎師と羽生選手は出会うべくして出会ったのかもしれないですね。

以前に渡邉氏の『演劇とは何か』(講談社、1990)の中の「『當麻』から『死者の書』へ」を読み、それに触発され、羽生結弦さんの「SEIMEI」の音楽、演劇性について、論じてもいる。

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プレトークでは、渡邉氏の「武司(野村萬斎さんの本名)贔屓・偏愛」ぶりも確認できて、楽しかった。渡邉氏は『越境する伝統』(ダイヤモンド社、2009)の中で、「時分の花」を表す役者として萬斎讃に一項割いているほど「萬斎贔屓」なんです。1988年にはパルコ劇場で萬斎さん主演「能ジャンクション『當麻』」を製作・監督しておられるし、2016年12月にはこの春秋座で萬斎さん出演(映像でしたが)の『繻子の靴』を上演しておられる。これは私も見て、記事にしている

司会役の天野氏が渡邉氏の「暴走」気味の(とても刺激的な内容なのですが)トークを締める役割を果たしておられるのがおかしかった。また、片山九郎右衛門師がただ一人の演者として『井筒』を解説されたのも、興味深かった。