yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

舞踊家 伊藤道郎の先見性 「異国と格闘した日本人~舞踊家 伊藤道郎」(プレミアムカフェ 2007年)

先日の再(再)放送を録画していた。それも今年の7月だったかに放送のもの。おそらく反響が大きくて、さらに再放送になったと思われる。その内容を引用する。

ハイビジョン特集 異国と格闘した日本人芸術家 夢なしにはいられない君 ~舞踊家 伊藤道郎の生涯~(初回放送:2007年)

<番組内容>

ハイビジョン特集 異国と格闘した日本人芸術家 夢なしにはいられない君~舞踊家 伊藤道郎の生涯~(初回放送:2007年)第一次大戦から太平洋戦争にかけ、欧米で活躍した舞踊家・伊藤道郎。東洋的な体の動きは多くの芸術家にインスピレーションを与え、ハリウッドのショーでも成功を収めたが、一方で米国FBIにスパイ容疑で逮捕され家族と引き離されるなど、波乱万丈の生涯を送った。常に夢を見続けた彼の人生をたどる。

さらに非常に気になったのが、道郎のダンスの所作。能の舞を思わせる動きである。ゆっくり、緩慢に、静かに動く。能のカマエを思わせる所作が入る。合間に入るクルリと回る動き。それらはいわゆる西洋のダンスとはまるで違っている。イェイツと一緒に能を「研究」し、それが『鷹の井戸』の演出という形に結実したということだろう。以下、Wiki記事をお借りする。

1914年第一次世界大戦の影響で(ドイツから)英国、ロンドンに渡る。1916年にはアイルランドの詩人イェイツと共にを研究し、イェイツの代表作である戯曲『鷹の井戸』の完成に貢献した。 

道郎自身が鷹の女に扮したという。これも当ブログ記事(2017/05/29)にしている。

道郎ダンスのあの独特のモーションは能の影響を強く受けたものだったんですね。音楽がどんなものだったか、今となっては知る由もないのが残念ではある。イェイツ自身も能を見たこともなく、フェノロッサとエズラ・パウンドの共著からの伝聞だったので、地謡、お囃子などは採り入れていなかったかもしれない。

『鷹の井戸』は横道満里雄、観世寿夫、高橋睦郎らの手によって改作され、最終的に現在の『鷹姫』になった。2017年、2019年に 片山九郎右衛門師、味方玄師主演のものを京都観世会館、ロームシアターで観劇したのだけれど、もちろん謡、囃子付き。日本と西洋との「合作」の大胆さと繊細のアマルガムに感動した記憶が新しい。道郎に見て欲しかった。

道郎は東京オリンピックの芸術監督に任命されていたのだけれど、とき待たずして彼岸に旅立った。どういうグランド・デザインを練っていたのか、これも今となっては知る由もない。68歳だったという。あと10年は生き延びて欲しかった。やはり2年にわたる日系人収容所での厳しい生活が命を縮めた気がしてならない。

番組中、インタビューを受けている道郎の次男、ジェリー伊藤さんは、この番組放映直後の2007年7月に没しておられる。だから最晩年にかろうじて聞くことができた貴重な肉親の声である。ジェリーさんのお孫さんの綺麗なお嬢さんも登場するけれど、まだダンサーをやっておられるのだろうか。番組内では伊藤道郎の直弟子だった女性に直接手ほどきを受けておられた。

Wikiの最後に伊藤道郎の日本的なダンスについていくつか論考があるのが紹介されているので、機会があったら読みたい。ヘレン・コールドウェル著 『伊藤道郎 人と芸術』中川鋭之助訳が大阪市立図書館に所蔵されているので、こちらも読みたい。

写真を幾葉かネットからお借りする。

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