yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『一谷嫩軍記』((いちのたにふたばぐんき) in 「二代目吉田玉男襲名披露」人形浄瑠璃文楽四月公演@国立文楽劇場4月25日夜の部

土曜日ということで、満員の観客だった。能のアダプテーションの『靭猿』、「口上」、『一谷嫩軍記』、そして『卅三間堂棟由来』と続いた。『一谷嫩軍記』の後、30分休憩があったのだけど、疲れてしまい、友人には申し訳なかったけど退出した。この前の興行の折にも4時間を超える長丁場、しかも休憩がほとんどなかった記憶があり、そのまま居続けてもどうか心配だったから。かなり残念だけど、『卅三間堂棟由来』はまた観る機会があることを期して。

ただ、この夜の部の組み合わせはかなり地味なものが揃っていて、退屈したことも確か。おそらく初代玉男さんの得意とされた演目を揃えたのだろうけど、「古い」印象は否めなかった。最近の大阪での文楽、かなり新しい演目に挑戦してきていたので、これはちょっと期待はずれ。せっかく若い観客が増えているのだから、もっとカゲキな演目、演じ方があっても良かったのでは。それだったら、きっと最後まで居残ったと思う。

『一谷嫩軍記』は「熊谷桜」と「熊谷陣屋」が演奏された。どちらも亡き玉男さんの十八番。彼が熊谷を遣うのを何回も観ている。熊谷の姿の大きさ、品格の高さを出すのに、彼の遣いはみごとだった。でもこの二つの段をいっぺんに観るのはこちらにも忍耐力がいる。それを耐えさせるには、かなり思い切った新しい工夫が要ったように思う。でもこれは追善を兼ねた新玉男襲名披露だから、そういう「冒険」はできなかったのでしょう。新玉男さんはあくまでも彼に倣って人形を遣ったのだろうし、そこに彼の独自性を入れるのは難しかったに違いない。

それは人形遣いにだけではなく、大夫にもいえること。文字久大夫さんは住大夫さんのお弟子さん。だからかなり忠実に師匠に倣っておられた。お二人の資質はかなり違うように思うので、こちらも彼独自の語りが多少はあっても良かったのにと、残念な気がした。ないものねだりでしょうけどね。

筋書に林久美子さんが「伝界となまいだ坊主」というタイトルで『時雨の炬燵』(これは昼の部)で、近松半二が門左衛門の「原作」(もちろんこれは、『心中天網島』)をいかに外す工夫をしたかを書いておられる。そう客は、特に大阪の客はその外す工夫(彼女は「おもろい」と表現されていたけど)をみてみたいのでは。そういう文楽の最近の流れに立ち会ったという気がしていたので、今回は期待外れだった。

以下に文楽劇場のサイトにあったチラシとあらすじをアップしておく。チラシにあるのは熊谷の人形。