yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

「二月大歌舞伎@歌舞伎座」総評

2月、歌舞伎遠征をしないつもりだったのだけど、「寿曽我」にこの1月の「浅草歌舞伎」に出演していた若手のほとんどがでていると分かり、急遽チケットを取った。それと、先日文楽で観て、感激した『彦山権現』の「毛谷村」の歌舞伎ヴァージョンを確認したかった。歌舞伎で以前に観ているのに、ほとんど記憶の彼方になっていたので。

以下は、昨日の歌舞伎座公演の演目一覧。

<昼の部>

『吉例寿曽我』

『彦山権現誓助剱』より「毛谷村」

『積恋雪関扉』

<夜の部>

『一谷嫩軍記』より「陣門・組打」

「神田祭」

『水天宮利生深川』より「筆屋幸兵衛」

菊五郎、幸四郎は「大歌舞伎」常連だけど、芸が退屈、観劇を再開してから一度も良いと思ったことがなかった。でも、ひょっとしたら新しい側面を見せてくれるかな、と多少の期待はあった。でも残念ながら、危惧は当たっていた。菊五郎は太っている所為もあってか、動きが緩慢、口跡も悪い。年齢(70歳超?)も関係しているかも。幸四郎の口跡が悪いのは以前から同じ。息子の染五郎の方がはるかに良い。それは菊五郎の場合も同じで、息子のほうがずっと優れている。染五郎は現在博多で『伊達の十役』をかけている。父親と共演しないのが、賢い!その点、菊之助が気の毒。

昼の部では予想通り若手勢ぞろいの「寿曽我」がいちばん良かった。「毛谷村」は文楽の方がワクワクした。時蔵は声も良く、佇まいもお園のニンにはまっていた。「関扉」は、菊之助の小町が最もそれらしかった。

夜は、ホテルに一旦荷物を置いてから劇場に戻ったので、「一谷」は観ていない。吉右衛門がみれなかったのはちょっと残念。若手参加の「神田祭」は楽しかった。黙阿弥作の『水天宮』はかなり退屈で、途中居眠りをしてしまったほど。黙阿弥が明治になって書いたという「散切りもの」。彼も創作力が衰えていたのかも。図書館で原作を借り出して、確認したい。それに比べると、大衆演劇の散切りものの方がはるかに面白い。特に下手なヒューマニズムでけりをつけない点で。

客入り、私の「改築歌舞伎座公演」観劇体験中、最も悪かった。「大御所」たちは、後ろに回り、後輩の指導役に徹するべきなのでは。最近の文楽の目覚ましい進境ぶりと比較し、強くそう思う。

今日は午後5時のフライトで帰るのだけど 、その前に国立能楽堂での新しい能/狂言のチャレンジ作品、「現代狂言IX」を観る。実験的試みらしい。