yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

羽生結弦さんの「ツィゴイネルワイゼン」に絶句

羽生結弦さんのここ数年を追ったDVD、『覚醒の時』をちょっと前に2日間に分けて観た。でも、最後の最後は観ていない。あのぶつかったときの映像も入っているかもしれないと、辛くて。

メニューではそれぞれのパフォーマンスが選べるので、ここ当分は2010年から2013年までの演技を断片的に観ている。昨日はこれとこれ、今日はこれとこれという具合に。それでもこちらのキャパが追いつかない。消化しきれないほどの圧倒的魅力。毎秒、毎秒、その演技だけではなく、身体全体から出ているオーラにやられてしまう。その存在に釘づけになる。

美少年といえばギリシア・ローマ神話の、美と愛の女神アプロディーテーに愛されたというアドーニスということになるんだろうけど、羽生結弦さんの場合はそういう西欧的な生々しさ、あえていえばギラギラ感がなく、もっと日本的に端正、そしてピュア。『平家物語』に出て来る笛の名手、こちらも美少年の象徴たる平敦盛かな。これも当たらないか。なんとも規定しがたい中庸、曖昧さがあるから。その曖昧模糊としたところが実にトリッキイ。あの挑戦的な視線ですからね、アグレッシブな表情ですからね。

「ツィゴイネルワイゼン」の演技を始める前に「きっ」とした表情をするところ、なんともいえません。この挑戦的視線が多くの人のこころを射抜いたのは間違いない。youtubeからの映像をリンクしておく

どのパフォーマンスも好きだけど、この「ツィゴイネルワイゼン」は特に好き。若干16歳。それでこの完成度。技巧的にもすでに4回転を飛んでいたから、超人的だけど、それ以上にこの解釈力!この年齢で曲をここまで解釈して、それを踊り込める(あえて「踊り」と言います)その知性の高さ、感性の純度の高さに、言葉がない。真のアーティスト。だから得点が何点なんて、関係ない。他のスケート選手がここまでの芸術度の高さに達していたとは、到底考えられないから。才能云々の前に、神さまからの贈り物、そんな特別な「ひと」の気がして仕方ない。彼は別世界からやってきたひと。

「ツィゴイネルワイゼン」での演技が好きなのは、中にコサック舞踊を思わせる舞踊が入るから。もちろんコリオグラファーが付いているんだろうけど、その振付け以上のプラスアルファを付けるのが、羽生結弦選手が羽生結弦選手たる所以なんだと思う。計算されて構築された構図の中に納まりきらない、天賦の才に裏打ちされたパフォーマンスが可能なんだろう。

「ツィゴイネルワイゼン」の旋律はロマの人、つまりジプシーの曲にヒントを得ているという。いわゆる正統的音律とはズレた、異教(郷)的なもの。あの哀しげな、そして激しい旋律を聴くと、心が乱されるのはその所為。私たちの心に潜むノイズを表象しているから。曲の深層とでもいうべき「異端性」を正確に把握し、それをスピン、回転等の演技に昇華させるなんて、まさに超人的。

衣裳もすばらしい。うすいピンクに赤と黒模様が入ったもの。下は黒のパンツ。オシャレ。そしてカワイイ。まるで妖精。彼の衣裳はどれもすばらしい。彼の美しさをより一層引き立てる役割をみごとに果たしている。彼に「encounter」出来たことは、ただ、ただラッキーとしか言いようがない。

今日、西宮北口図書館に本の借り出しに行ったのだが、「はたちの献血」ポスターの羽生結弦さんに「遭遇」した。その前でしばし立ち止まり、胸にあたたかさが満たされる喜びに浸った。