yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

菊之助の人物造型の秀逸が光る『女殺油地獄 』in 「明治座 四月花形歌舞伎」@明治座4月8日昼の部

以下、「歌舞伎美人」から。

<配役>
河内屋与兵衛:尾上 菊之助
お吉:中村 七之助
豊嶋屋七左衛門:中村 勘九郎
太兵衛:坂東 亀 寿
芸者小菊:中村 梅 枝
小栗八弥:中村 萬太郎
おかち:坂東 新悟
白稲荷法印:市村 橘太郎
綿屋小兵衛:片岡 松之助
河内屋徳兵衛:嵐 橘三郎
おさわ:上村 吉弥
山本森右衛門:河原崎 権十郎


<みどころ>
近松門左衛門が享保6(1721)年に、実際に起きた油屋の後家殺し事件を題材に人形浄瑠璃のために書いた作品です。その後、明治になって歌舞伎として上演する機会が増えました。河内屋の息子与兵衛は、放蕩三昧で借金もある身。今日も喧嘩のはずみで、侍に無礼を働いてしまいます。さらに与兵衛は、継父の徳兵衛や妹おかちにまで手をあげる始末。見かねた母おさわは、与兵衛を勘当し追い出すのでした。その晩、金の工面に困った与兵衛は、同業の油屋の女房お吉を頼ろうと店を訪れるのですが…。刹那的に生きる青年が引き起こす悲劇をご覧いただきます。

近松の世話物。世話物でも不条理劇に近い。近代劇と言えるかも。監修は仁左衛門。『女殺油地獄』の河内屋与兵衛といえば、仁左衛門を思い出すほどはまり役だった。私も2009年歌舞伎座で観ている。お吉は孝太郎だった。

その仁左衛門の与兵衛を受け継いでの菊之助の与兵衛。きっとやりにくかっただろう。仁左衛門の与兵衛がプロトタイプになってしまっているから。それは他の与兵衛を演じた役者にもいえるかも。近年では愛之助、染五郎、海老蔵が演じている。私が見たものだと、2012年5月の新橋演舞場公演。与兵衛を愛之助が、お吉を福助が演じていた。当ブログ記事にしたのでは、2013年4月、松竹座の『新・油地獄 大坂純情伝』。ただしこれは原作そのものではなく、まったく新しい作品。いっそのこと、こういう風に「パロディ」化しない限り、仁左衛門の「呪縛」は解けないのかもしれない。愛之助は松嶋屋一門というアドバンテージがある。また海老蔵には宗家というこれ以上ない後ろ盾がある。染五郎はそれがないから、純粋に伝統への挑戦として与兵衛を演じたのではないだろうか。見ておけばよかった。

今回の菊之助の与兵衛の人物造型はおそらく仁左衛門とも、また仁左衛門プロトタイプとも一線を画したものだったように思う。荒事を専門とする團十郎/海老蔵の成田屋一門に対して、立ち/女形いずれをも演じる音羽屋一門の菊五郎/菊之助。歌舞伎界では同格の家柄。さらに踏み込んで読めば、菊之助は、仁左衛門十八番の上方歌舞伎狂言を、仁左衛門ばかりではなく成田屋宗家の与兵衛と「張り合って」演じたことになる。そういうlooking glassを通してみると、別の感慨も湧いてくる。

菊之助自身がどのように考えていたのかは分からない。出てきた結果がすべて。どちらかというと彼を「怯ませる」ような様々な事象が、逆に彼を焚きつけ、より上を目指させたことが確認できる。与兵衛の解釈は仁左衛門のそれとも愛之助のそれとも違ったものだった。新鮮、清冽だった!グロテスクさは仁左衛門が勝っていた。アグレッシブさは愛之助が勝っていた。でも与兵衛を同時代人として理解するという点で、菊之助の与兵衛はこれ以上ないほどリアルだった。悪人ではない。でも弱さ(もっというならエディプスコンプレックス)が彼を悪の方向に向かせてしまう。フロイトで読み込めば極めて的確な分析を許す、そういう人物として、与兵衛を描いていた。与兵衛をこういう風に複雑なキャラとして描いたのは、そしてそれを納得させる与兵衛にしたのは、やっぱり菊之助。

菊之助には昨年の『合邦』にも今年1月の『小狐礼三』にも驚かされた。恐ろしいほどの深淵を持つ役者。それを何の衒いもなく、ごく自然体で役に投影できる役者。こういう役者を同時代的に見れるのがうれしい。