yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

歴史に残る名演だった「五段目より七段目まで」『仮名手本忠臣蔵』in「国立文楽劇場開場35周年記念 夏休み特別公演」@国立文楽劇場 7月23日、24日

24日に床前の良席で観劇できたのだけれど、あまりにすばらしい舞台。公演中全席完売だと知っていたのだけれど、諦めきれずに文楽劇場サイトにアクセス。なんと急遽2席空席が。迷わず確保した。

どの段も優れて見応えがあったけれど、その中でも特に良かったのが、六段目「早野勘平腹切の段」と七段目「祇園一力茶屋の段」。

「早野勘平腹切の段」、語りは呂勢太夫、三味線は清治。二、三年前、呂勢さんの声に変調を感じた。それまでの艶やかな高い声調が減じ、また勢いもなくなったようだった。ただ昨年から今年にかけては、以前にも増してパワフル度が増していた。心底ホッとした。

腹の底にぐっと堪えていたものを、全身で放出させる。クライマックスのところでは色白の顔面は紅潮し、上半身を持ち上げ乗り出さんばかりの力演。嶋太夫さんでも興が乗ると身体をぐっと持ち上げる演技を頻繁にされていた。でも、そこは若い呂勢さん、はるかに力強い。それもただただ力で押し出すというのではなく、緻密な計算と細やかな工夫が見られる。今度、すぐ目の前でその一部始終を見ることができて、感興もひとしおだった。あの「不調」はこういう域に到達するための必要な過程だったのではと、今では思える。声は若い頃(二十代)のあの朗らかな高い音程ではなくなっているけれど、逆に深みができている。人の複雑な情は、おそらく声質の渋味で持って初めて表現が可能なのかもしれない。呂勢さんの場合、渋くはあるのだけれど、どこかあのイノセントな朗らかさの尻尾が垣間見える。 

なんといっても男前。そういえば、十年以上も前、友人に散々「呂勢」さんを宣伝した後、一緒に文楽を見たとき、「あなたは面食いだからね!」と言われたことを思い出した。「実力があるから好きなんだ」と、言い返せば良かったかも。実際28年前の呂勢さんは、その水際だった美貌以上の実力派だったんですからね。しかも東京出身のオシャレさがあって、それが語りにも出ていた。それが他の年配太夫さんたちとは、違った新しいセンスを感じさせるところだった。そういうところも、ステキだった。

今回どうしても2回見たかった最大理由は、「祇園一力茶屋の段」が、とてつもなくすばらしかったから。人形遣いでは簑助さんが最初の場面でおかるを遣われた。本当にすごい技。あの繊細。涙が出ます。一輔さんも飛び抜けてうまい遣い手で、私の好きな人形遣いさん。でも、簑助さんとこのように比べられてしまうと、やはり差が際立ってしまう。

そして、本公演第二部のハイライトはおかるを担当した津駒太夫と平右衛門を担当した藤太夫(元文字久太夫)の掛け合い大熱演だろう。震えるほど感動した!

藤太夫さんは私の中では常に呂勢さんと対になっている。年齢は藤さんの方が上だったはずだけれど、年代的に九世代と対抗できる力のある「若手」だった頃に、秘かに応援していた。平右衛門がどういう人物だったのかが、藤さんの身体を透かして顕れていた。実直でオトコ気があって、恩を忘れない男。武士階級ではずっと下の足軽。でもそれが、却って彼を大きな人物に見せることになっている。この「矛盾」を、藤太夫は無理なく語り込み、われわれを感動させることができた。 

そして津駒太夫!新人類が多い太夫の中で、風貌、声質ともに旧人形浄瑠璃のまんまで、一人異彩を放っている。あのねちっこい語り。独特のセリフ回し。その技は、若い人ではマスターできないだろう。だから彼限りだと思い、できるだけ聴く機会を増やそうと思う。とにかく鳥肌ものの芸。この津駒さんと藤さんとの掛け合いは、実に鬼気迫るものがあった。

第七段は普通の文楽の演出とはかなり異なっていて、各太夫が役を担当する。それも三味線演奏が付かないまるで「一般の演劇」形式。語りとしてセリフを「言う」のに慣れている太夫にとって、これは多分極めて難しいことだと推察できる。現代セリフ劇になるんですよ。セリフと語りとはまるで違うので、それをどう逃げ切るのか(聴き惚れさせるか)、技が問われる。またもう一つの見慣れない演出は、下手に平右衛門を登場させたこと。藤太夫の平右衛門がここで由良助役の呂太夫とセリフの応酬をするのに、びっくりしてしまった。新演出、それとも以前からあるもの?

 

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