呂勢さんは「帯屋の段」を語られた。千変万化の語りにノックアウトされた。人物の気持ちの襞に分け入っての語り。人物の裡にこもった情が溢れ出てくるような語りである。それも旧世代の太夫たちのこってりしたものではなく、情の発露は緻密に計算されている。あふれんばかりの情を語る声、それを制御する「理」との間を、微妙なバランスを保ちつつ往き交いする語りである。呂勢さんといえば、今まではどちらかというと「理」の方がいくぶん勝った語りという印象があった。高めの美声はそれだけで華麗なので、「理」の部分を感じさせはしなかったんだけれど。
ここ1年ばかり、「ちょっと本調子ではないな」って感じていたので、今回のこの語りには喝采を叫びたかった。「やっと本領発揮だ!」って。それも以前より一皮も二皮もむけた感じ。
悲劇の暗さの中、唯一滑稽さが際立つ長吉とお絹とのかけ合い。非常に難しい箇所。長吉を手玉にとりつつも、お絹を支配しているのは悲しみ。逃れようのない運命への怒りに似た気持ちもある。それを長吉を「からかい、利用する」ことで、少しは、解放できた気分がほの見える。この微妙な駆け引きを、語りでみごとに描いてみせた。昨年4月、歌舞伎座で扇雀がお絹を演じた「帯屋」の段を見ている。実際の役者が演じるよりも、人形に演じさせる方が難しいと想像できるけれど、それでもこれは文楽の方が真に迫ってきた。ひとえに呂勢さんの語りが優れていた所為である。もちろん、呂勢さんの語りに乗ったお絹の勘彌さん、長吉の文司さんのお二人の遣いもみごとだった。「三味線の清治さんはいつもながら冷静。間を取りながら、こちらもみごとな「女房役」だった。
『日本大百科全書(ニッポニカ)』の『桂川連理柵』についての解説も合わせてお借りさせていただく。
浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。世話物。2段。菅専助(すがせんすけ)作。1776年(安永5)10月、大坂・北堀江市の側(いちのかわ)芝居初演。京都・桂川で娘と中年男の死体があがったという事件をもとに生まれたお半長右衛門(ちょうえもん)の情話を脚色、浄瑠璃『曽根崎(そねざき)模様』(1761)をはじめ、いくつかの先行作を経てつくられた。
上の巻―帯屋長右衛門は遠州からの帰途、隣家信濃屋(しなのや)の娘お半の一行が伊勢詣(いせまい)りから帰るのと石部の宿で泊まり合わせ、丁稚(でっち)長吉に言い寄られて逃げてきたお半をかくまい、思わず契りを結んでしまう。
下の巻―〔六角堂〕長右衛門の女房お絹は夫とお半の関係を知るが、長吉を買収して口止めをする。〔帯屋〕長右衛門の義母おとせとその連れ子儀兵衛は、お半の一件をかぎつけ、長右衛門を追い出そうとするが、お絹は長吉を使って逆に彼らを懲らしめる。しかし、長右衛門は預りの刀紛失のうえ、懐妊したお半が書置を残して家出するという苦境が重なり、ついに桂川でお半と心中する。分別ざかりの四十男長右衛門と十四の小娘お半の恋愛を中心に、お絹の貞節なども情緒深く描いた「帯屋」が歌舞伎(かぶき)でも多く上演。ときに「六角堂」や、後年の書替え狂言から生まれた道行(みちゆき)浄瑠璃の場面を加えて演じられる。[松井俊諭]
現代なら悲劇にならずに済んだかもしれない騒動。長右衛門が帯屋を出れば済むこと。ただ、「主従」、「親子」という関係の上に成立する封建制度下では、それにがんじがらめになっていて、そこから抜け出ることは難しいのかもしれない。文楽が描く世界は、封建システム下での葛藤を主軸にして展開することが多い。
呂勢さんが本調子に戻られて、以前にも増し耳福の語りを聞かせてくれることが、とてもうれしい。呂勢さんは20代だった頃から拝見しているけれど、そのころも目立った男前で、しかも美声。年齢の高い太夫の中で輝く存在だった。今や内実共に輝く存在になられたんだと、感無量。
この日、一番驚いたのが観客の年齢層。連休中の土曜日ということもあるのかもしれないけれど、圧倒的に若い観客だった。東京は別として、大阪公演では観客席は「灰色」というかダークグレー色に塗り込められていた。従来は。つまり男性比率が割と高い上に、年配客が多かった。演者さんたちが若返ったこともあるのかもしれないけれど、それ以上に演目の工夫が大きいように感じた。地味ではなくわかりやすいものになっている。それと、時間も以前の5時間弱なんて長丁場ではなく、3時間強。この路線で行ってほしい。