yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

新春を寿ぐ華やかな『義経千本桜』中の「道行初音旅」in 「令和三年初春文楽公演」@国立文楽劇場 1月18日

チラシの表と演者一覧をアップしておく。

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今回「道行初音旅」の演者は名実ともに「若手」当代トップを揃えている。太夫では静御前を呂勢太夫、狐忠信を織太夫、三味線は清治、誠志郎、そして人形は静御前を一輔、狐忠信を玉助。(もはや「若手」とは呼べない?)現在最高峰の演者たち。

呂勢太夫と清治三味線コンビにウキウキ感が全開である。以前当ブログでも書いたけれど、呂勢さんの調子がよくないことは2019年前から感じていた。その後ご病気で休演されて、「やっぱり!」と非常に心配だった。それが昨年11月の大阪公演で復帰、野崎村を語られた。以前とは違った渋い声調と節回しにより一層の「進化(深化)」が表れていて、感動した。素晴らしい語りだった。

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呂勢さんが清治さんと連れなのもうれしい。文楽を見始めた頃最初にファンになったのは先代呂太夫さんだった。その三味線をされていたのが清治さん。でも、演奏を聞いたのは数回。そのあとアメリカに長く行っていたので、演奏を聞く機会を逃してしまった。だから呂太夫さんの後を受けて呂勢さんの三味線が清治さんになった時のうれしかったこと!

そして迎えた今年最初の「道行初音旅」。呂勢さん、なぜか声調がまた変わって、(私が初めて呂勢さんの語りを聴いた)25年前頃の高く朗々しい声調になっていた。ただ、より深みが増していて、これにも感動。昨年11月公演ではお光の悲劇を「新版歌祭文」に被せて語るので、そうそう朗らかには語れなかったはず。渋い声調は語りの内容に合わされたのだろう。

そしてこの「道行初音旅」での静役。朗らかで艶やかな声は静役にうってつけである。ソロの一声、「浪に揺られて漂いて」の「なみ」と「ただ」で声を上にクルリと回すところが、素晴らしい。謡の稽古でこの回す謡かたに呻吟している当方、これがどれほどすごいことがやっと分かった。この歌い方がこの後もなんども出てきて、その度に「すごい!」とつぶやいていた。

愛する義経が逢った災難を悲劇として語るところの節回し、中でも「波風荒く」の声調をあげて極端な抑揚をつける箇所が絶妙で、ここでも唸ってしまう。

織太夫も負けていない。「忠信が旅姿。背に風呂敷をシカト背たろうて、野道あぜ道ゆらりゆらり」のソロ部が勢いと伸びのある声にぴったり。呂勢さんの勢いと織さんの勢いが丁々発止とやりあっている感じが、微笑ましい。何よりも呂勢さんびいきの当方としては、若手随一の織さんと声の調子を張り合えるまでに呂勢さんが回復されたことが何にもましてうれしい。

この二人が景清と美保谷四郎との一騎打ちを模して闘うさまは見(聴き)モノ。静の戦いがまるで男のように果敢であるという意趣も面白い。呂勢さんと織太夫は二人とも非常に幅があると同時に奥行きがある。しかも美声である。だからここでの掛け合いが眼福ならぬ耳福だった。高めの声同士なので、若武者の一騎打ち。これまたお二人の一騎打ち。興趣は尽きない。

人形遣いのお二人も50代。一輔さんは50代に入ったばかり。首の傾げ方、肩のひねり方が絶妙。時折見せる人形の所作が、あまりにも簑助さんに似ているのに今回初めて驚いた。以前から大好きな遣い手さんで、2012年から始まって、すでに9回も当ブログで言及してきている。しかし、簑助さんを彷彿させたのは初めて。遅まきながらネットで調べて、やはり簑助さんのお弟子さんだったことを知った。またお父上も人形遣いで、お父様が亡くなった後、簑助さんに付かれたとか。今まで気づかなかったのは、一輔さんが簑助さんと違ってかなり長身の所為?主遣いの方は顔を出しておられるので、どうしてもその顔、姿形に目が行ってしまう。すっきりとした遣い手という印象が強かったけれど、品の良さはまさに簑助さん譲り。納得。特に「愛嬌ありや 頼もしや」から始まる舞踊の振りはまさに日本舞踊そのもの。人形とは思えない扇子の遣い方、身のこなしが綺麗でリアル。見ほれてしまう。

玉助さんも同じく50代初め。祖父、父が「立ち」の人形遣いという家の出身。一昨年、江戸時代から続く人形遣いの名跡、吉田玉助を53年ぶりに五代目玉助として襲名された。動きが敏捷で、かつ美しい。狐から忠信への変身の鮮やかさに思わず「うぉ!」と叫んでしまった。「壇ノ浦」の戦いをえがく場面の勇壮な武者姿、その中に狐を偲ばせる工夫が繊細。歌舞伎でも同じことをするけれど、人形なので工夫がずっと難しいはず。それをいささかの瑕疵もなく務め上げられた。身長がおありなので、動きの一つ一つがくっきりと見えて、まさに「立ち」にぴったり。

静(一輔)と忠信(玉助)さんの二人で、武者同士の闘いの様を模倣するところがおしゃれだし、おかしみもある。静御前をこのような女伊達として描いている意外性が斬新である。

やはりなんといっても画期的だったのは、太夫と人形遣いが50代、40代で勢いのある方たちで構成されていたこと。どう言ったらいいのか、今まで見たことのない「風景」が展開している感があり、それが新しい春に相応しい「始まり」を感じさせた。