読み終えて私がまず持った感慨は、いかに陛下が学者として一級の方であるかであるかということだった。陛下の学者としての原点がまさにこの英国留学あったことが、よくわかった。この留学中に陛下終生の研究テーマ、「テムズ川交通史」に出会われたのである。このテーマにたどり着くまでの経緯が、臨場感を持って読む側に伝わってくる。陛下がその時々に感じられたワクワク感、高揚感もダイレクトに伝わってきた。研究のノウハウをチューターをはじめとする優れた学者から直接指導された陛下は謙虚に彼らの指導を受け入れられ、それらを咀嚼し、理解し、その上でご自分独自の研究の形を模索された。私個人の印象は「非常に惜しい」だった。このまま学究生活を送られたら、世界有数の水運史の世界的大家になられたことは間違いない。
陛下が学究の徒としていかに優れておられたかにだけでなく、陛下がクラッシック音楽への造詣が非常に深く、かつまたスポーツにも長けておられるということも明確に伝わってきた。音楽に関してはもはや「オタク」レベル。単にクラッシック好きというだけではなく、曲の分析、解釈までがプロ級である。実際彼の提案でオックスフォード大で室内楽のグループまで作られ、演奏活動までしておられる。スポーツに関しては、テニス、スカッシュ、ボート、登山と多彩に活動しておられる。さらに感動したのは、音楽、スポーツともに陛下が単に「受け手」としてでなく、常に発信者であられたことである。一言でいえば非常にアグレッシブに活動・活躍されていたのである。
陛下は今回の復刊の意図を「復刊に寄せて」で述べておられる。それはこの本が海外留学を考えている若い人の背を押す役に立てればと願っているというものである。この陛下の想いは初版 (学習院教養新書、1993年) の「あとがき」にはない。それはおそらく初版から20年の歳月を経て、社会情勢、特にインターネットの発達により大学、大学院での学究生活が変化したこと、さらには陛下ご自身が親となられたことで、親世代からの子世代へのメッセージを伝える必要を痛感されたからだろう。「国民に寄り添う」ということを常に想っておられるいかにも陛下らしいお考えである。
陛下のこの想いが最もよく表れているのが、第1章、第2章である。また、大学で英語教師を長年やってきた私としては、この二章は非常に興味深かった。この冒頭の二章では、陛下(これ以降徳仁様と呼ぶ)が6月にロンドン到着されてからオックスフォード大学院の新学期が始まる10月4日までの約3ヶ月間を、どう過ごされたのかが克明に描かれている。3ヶ月の大半をホストファミリーですごされたのであるが、その目的は日本とは違う生活様式、物の考え方をイギリス家庭の日常を通して体験することとともに、英語を研修することだった。特に後者は、毎日4時間のレッスンをホストファミリー宅へ来られる語学教育の専門家から直接受けられていた。
教材はBBCのラジオ・テレビのニュース等が使用された。それらを使い、ヒアリング力、読解力、スピーチ力をつけ、最後にはそれらをまとめて「作文」することが求められた。この英語のレッスンが、英語で考え、英語で発表し、英語できちんとした論文を書くだけの分析力を培うのに非常に効率的な組み立てかたをされているのに感心した。学外授業として、近隣を探索し、それを作文にするというものもあった。その中には陛下が後年にテムズ川を研究テーマに選ばれるきっかけを作ったとも言える「テムズ川散策」も入っていた。
このようなホストファミリーでの英語のレッスンを含む生活は、ある意味これからのオックスフォードでの大学院生活の雛形になっていて、徳仁様があらかじめそれを体験することで、大学院での生活により早く馴染まれることを目的としていたのだろう。また、これから海外留学を考えている人たちにも、陛下のこれらの体験が役立つことは間違いない。
私が最もワクワクして読んだのは、5.6.7章で、付箋を山のようにつけてしまった。冒頭に書いたように、この部分はオックスフォードでの大学院生活のものだが、これらの幾分かは私自身のペンシルベニア大学での大学院生活にかぶる。大学院のシステムの大部分はイギリスの大学を模倣していたのだと改めて感じた。最近は随分と変わってきているのだろうけれど、それでも研究の方針、方法はさほど違わない気がした。ひたすら文献を読まされる。それも半端な量ではなく、時としては週一の授業に100ページほどの文献を読まなくてはならない。チューター制度ははアメリカでは採用されてはいないけれど、その代わりにTA制度が整えられている。
陛下が次第に研究者として「目覚めて」ゆかれるプロセスも詳しく描かれていて、興味深かった。特に高校生のころ、赤坂御用地内で「奥州街道」の標識を見つけられ、それがきっかけで近世の街道、宿駅への関心を持たれるようになったという記述が印象的だった。その関心が、オックスフォードでのテムズの水上交通史を繋がる萌芽となっていたわけである。
さらに印象的だったのは、やはり指導教授のマサイアス先生とチューターのハイフィールド博士との緊密な関係である。おそらくそれぞれの分野では優れた業績を持っておられた二人の先生方の指導がリアルにわかった。同時に、陛下が彼らの指導に素直に従われ、その指導のもとに研究を深められる様子が伝わってきた。それもワクワクされながらであるのが、素晴らしかった。
大学院生活にいわゆる社交は必須である。それにも陛下は等身大の若者として、参加しておられる。実際はこの社交が留学で最も難しいものの一つである(私個人の意見としては)。文化的バックグラウンドの違う者同士の意志の疎通にはまず言語が最も重要である。加えて、お互いの教養レベルが揃っていないと、会話にならない。陛下がアップされている写真に写っている大学院生たちが一目で非常に教養がある方達だとわかる(日本のあまりにも幼い大学生、大学院生と比較してしまう)。ごく自然にこの仲間たちと写真に収まっておられる陛下は、この将来の学者たちと並んで何の違和感もない。
どれほど、本心では日本に帰国されたくなかったことか。大学にずっと残って学者として自立されたかったか。それを思うと胸が痛む。
私はオックスフォードを随分昔に一度訪れている。そのとき、walking tourと呼ばれるものに参加した。陛下がここで頻繁にあげておられるボードレン図書館も案内の中に入っていた。その時、陛下も言及しておられるブラックウエル書店で本を数冊買い込んだことが蘇ってきた。その後、アメリカのノースカロライナ大が主催するイギリス6週間の文学研修なるもの (おそらく陛下が帰国された数年後)に参加したのだけれど、それがケンブリッジ大学のクイーンズカレッジでのものだった。オックスフォードとケンブリッジとの大学のシステムはほぼ同じと思われるので、大学の寮での生活がかなり「過酷」なのは想像できる。実にスパルタンなんですよね。だから、陛下がこれに耐えられたことに感動してしまう。
陛下の謙虚なお人柄と冷静なものの見方の片鱗はこの本のそこかしこに見出され、改めて徳仁殿下が優れた天皇陛下になられたのは、当然だったのだという感を新たにする。この世がずっと続きますように、敬宮愛子さまが次の天皇になられますように、祈らざるを得ない。さらに、敬宮さまが近いうちにオックスフォードのカレッジに留学され、ご両親の経験を辿られることを切に祈っている。