yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

天皇皇后両陛下の結婚記念日を邪魔するべく、自分たちの展覧会鑑賞を同日にぶつけてきた平成の妖怪夫婦

Yahooの記事、読んで唖然とした。タイトルは、「上皇さまの“お疲れ”を考慮し延期の展覧会鑑賞、9日に行うと発表 宮内庁」。リンクしておく。

news.yahoo.co.jp

平成夫婦(美智子前と前天皇)の沖縄復帰50年記念特別展の鑑賞が、9日になったとの宮内庁発表。もとは6月2日の予定が前天皇の体調不良で延期になっていた。この延期の発表があったとき、ネット界隈では両陛下の結婚記念日の9日になるのではないかとの予想がとびかっていた。それが見事に的中。

そもそもそういう予測が出てきたのは、この夫婦に前科があるから。幾度も陛下や皇后さまの公務行事に自分たちの私事をぶつけてきていた。ネットではこれはもはや周知の事実。今までにも何度となく天皇皇后陛下の行事にあからさまな「邪魔」をしてきているので、気がつく人が多々出てきている。それでも「まさかね?」と私は思っていたけれど、実際にそれを強行したのには呆れると同時に、恐怖さえ覚えた。「この人、まともではない!」と。

このやり方で、何十年も雅子さまをいじめてきていたし、現在もそれを続行中だとわかった。まさに蛇のような執念深さ。最新ニュース映像があがっていたけれど、いかにも好々爺然とした前天皇に比して、蛇婆のおぞましさ。新調した服に山根(会長)グラサン姿は正視に耐えない醜さ。ぞっとした。

案の定、Yahooコメント欄は非難轟々。そのほとんどが「自粛していろ!」と、「陛下の邪魔をするな!」である。

鑑賞延期の日が9日である必要があったとは思えない。二人とも隠居の身、いつでも選べたはず。それをあえて両陛下の慶事にぶつけてくるという底意地の悪さ。これが前天皇夫婦だったとは!平成がいかに禍々しい時代だったか、改めて認識した。

次々と起きた災害、震災(これも日本の神々の怒りを買っていた彼らが原因?)は、美智子前にとっては自分を見せびらかす演出=ショーに過ぎなかった。どこまでも自分にスポットライトが当たっていないと不満。阪神大震災の折も東日本大震災の折も、被災地が受け入れ準備ができないところに無理やり押しかけ、いかにも気遣っているような偽善を振りまいた。被災地の生の声は、非難轟々だったらしい。

今上陛下、妃殿下はそのようなことは一切なさらなかった。

陛下は当の「沖縄復帰50周年記念式典」に際し、グランドプリンスホテル新高輪国際館パミールと沖縄コンベンションセンターをオンラインで結んで、お言葉を述べられた。それが宮内庁サイトにアップされている。

主な式典におけるおことば(令和4年) :天皇陛下のおことば - 宮内庁

式典のおことばをそのまま引用させていただく。

 沖縄復帰50周年に当たり,本日,沖縄と東京をオンラインでつなぎ,記念式典が開催されることを誠に喜ばしく思います。
 先の大戦で悲惨な地上戦の舞台となり,戦後も約27年間にわたり日本国の施政下から外れた沖縄は,日米両国の友好と信頼に基づき,50年前の今日,本土への復帰を果たしました。大戦で多くの尊い命が失われた沖縄において,人々は「ぬちどぅたから」(命こそ宝)の思いを深められたと伺っていますが,その後も苦難の道を歩んできた沖縄の人々の歴史に思いを致しつつ,この式典に臨むことに深い感慨を覚えます
 本土復帰の日,中学1年生であった私は,両親と一緒にニュースを見たことをよく覚えています。そして,復帰から15年を経た昭和62年,国民体育大会夏季大会の折に初めて沖縄を訪れました。その当時と比べても,沖縄は発展を遂げ,県民生活も向上したと伺います。沖縄県民を始めとする,多くの人々の長年にわたるたゆみない努力に深く敬意を表します。
 一方で,沖縄には,今なお様々な課題が残されています。今後,若い世代を含め,広く国民の沖縄に対する理解が更に深まることを希望するとともに,今後とも,これまでの人々の思いと努力が確実に受け継がれ,豊かな未来が沖縄に築かれることを心から願っています。
 美しい海を始めとする自然に恵まれ,豊かな歴史,伝統,文化を育んできた沖縄は,多くの魅力を有しています。沖縄の一層の発展と人々の幸せを祈り,式典に寄せる言葉といたします。

陛下が最もお心に留められていると思える箇所に下線を引いておいた。真摯に沖縄に心をお寄せになっていることが、文面からひしひしと伝わってくる。

『週刊文春』によると(この雑誌もたまにはいい記事を書くんですね)、この時の陛下のネクタイが石垣島の織元が織り上げた「八重山ミンサー」模様だったという。陛下のこの心遣いに、地元の人たちがいたく感動したとか。

それにひきかえ(比べるのも失礼だろうけれど)前天皇が「沖縄国体」(昭和62年10月)で昭和天皇の代理として読み上げたもの、まるで心がこもっていなかった。NHKアーカイブの映像をリンクしておく。

www2.nhk.or.jp

この平成夫婦にとって、「沖縄」はどのような意味を持っていたのか。この国体にさかのぼること12年前、1975年に沖縄を訪問した当時の皇太子夫妻(平成夫婦)に火炎瓶が投げつけられた。その折、美智子前が自分の身(だけ)をかばったのが、夫をかばったとのニセ「美談」になってしまったと聞いたことがある。とにかく自分を自分だけを目立たせたい人なんでしょうね。