yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

敬宮愛子内親王殿下のご成人を祝って皇居探訪

東京駅に着いたのが午後1時半過ぎ、京さん主催のパレードには参加できなかったのだけれど、皇居を訪ねた。年に少なくとも5、6回は観劇のため東京遠征をかけているのに、皇居を訪ねたのは二十数年ぶり。当時はまだペン大の学生で夏休み帰国していた。どうしても訪ねたいと希望するアメリカ人二人を案内したのだけれど、私自身皇居に赴くのは初めてで説明に苦慮、結局迷子になってしまった。天皇・皇室に興味がなかった所為である。お恥ずかしい。

久しぶりの皇居。東京駅から歩いて行けるし、頻繁に歌舞伎や文楽で行っている国立劇場とも目と鼻の先なんですね。今更ながらこれもお恥ずかしい。

東京の中心にこれほど広大な杜があることに驚いた。自動車の騒音の中、皇居に近づくに連れて清らかな気が迫ってくる感があった。ここは別世界!非日常空間に圧倒された。元は江戸城。徳川幕府権力の強大さを見せつけられた感もあった。京都の御所はこれほどの威圧感はなく、場所も建物も開放感がある。

明治政府が権威・権勢を誇るために、その象徴である天皇を京都からこの武士権力を表象する江戸城に移したのだと実感できた。具体性を感じなかった権力の実態が極めてダイレクトに伝わってきた。実感できた。軍総帥である天皇の政(まつりごと)と一体化させうる商・工の中心地、東京でなくてはいけなかったんでしょうね、明治政府の拠点は。

敗戦で明治以来の天皇の制度は解体、再構成されたものの、どこか曖昧なものが残ってしまった。憲法で政治権力を剥奪され、新たに「象徴」とされたものの、内部に未だ矛盾を抱えている。その矛盾をついたのが皇室に巣食う悪に利用された結果が現状ではないだろうか。憲法下で天皇の制度が抱える矛盾。権力は持たないはずなのに権威はある。それを利用する輩によって、皇室本体が揺らいでしまっている。政府の一機関であるはずの宮内庁も、権威=権力と勘違いしその拡大解釈を振りかざしてくる皇族に対抗できるだけのリーズニングを持たない、持てない。

そういう者たちをしっかりと取り締まることができるのは政府のはずだけれど、どこか腰が抜けているのは、天皇の権威を未だに信奉しているか、あるいは外部の勢力と結託、利用しようとする輩が幅を利かせているからだろう。この内部的矛盾を明らかにし、それを止揚する制度を新たに設けない限り、先日の秋篠宮の言論統制を求めるようなトンデモ発言が出てくる素地は今後も残される。

現に言論統制を行使している美智子前と秋一家こそ、統制されるべき対象である。

今上陛下、皇后陛下、そしてただ一人の皇女である敬宮愛子内親王殿下がこの矛盾をなんとか「生きよう」とどれほど苦慮されてきたか、また努力されてきたかを想うと、胸が痛む。

聡明な敬宮様はこの矛盾に気づいておられるのでは。研究対象に藤原道真を選ばれたところにそれが表れているように感じた。この方こそがこれからの天皇のあり方、皇室のあり方を明瞭にご自身の生き様で示してくださる方だと信じている。

皇居の写真を何枚か撮った。歩いた順番になっている。

まず坂下門。

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次に正門。ここで皇宮警察の方にどちらの方向が天皇ご一家の住まいされる御所かを伺ったのだけれど、はぐらかされてしまった(笑)。

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少し行ってから御所を望む。

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舗道に出てから皇居を望む。すぐ向こうにはビル群。

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テレビの推理モノに登場する警視庁前の桜田門駅から地下鉄に乗った。