yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

羽生結弦選手の「フィギュアスケート世界選手権2021」のSPでの選曲「Let Me Entertain You」に感動

やはりそうきたか!というのが第一印象。「フィギュア世界選手権2021」(@ストックホルム)でのSPの彼の演技を先ほど身終えた。興奮しつつもどこかに静謐を感じた。彼の精神力の強靭と信念の深さがバンとこちらの身を打つようだった。さらにこの一年余りの間に、羽生選手が自身のスケートを芸術・哲学に昇華しようという並々ならない想いを、以前にも増して深めたことも伝わって来る演技だった。

SPの曲は「Let Me Entertain You」という過激なもの。以前記事にしている。

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過激さ、頽廃の中に死からの甦り・再生を予見するような歌詞になっていて、彼がメディアム、祭司として自らの身体を差し出すのを目撃するような感を持つ。

闇と光を同時に示しているのがその衣装だろう。深い黒地に金の刺繍をちりばめた華やかなもの。それ自体が祀りごとを執り行う(ちょっと例えが悪いかもしれないけれど)異端の祭司のようである。

動きは以前よりソフィスティケイトされている。胴体をひねりつつ腕、脚はそれに抗うかのような動き。それはまさに歌詞の内容に連動している。ソリッドな体制、それをぶち壊そうとするエネルギーを表象しているように感じた。ただ単に破壊するのではなく、儀式としての執行。儀式なので、形が必要。でも形を造ってしまうと、それはまた「体制」になる。二つの力の抗争、それは永遠に繰り返されるものだろう。その永遠に繰り返される攻防の意味を解釈するには哲学が要請される。それを読み解き理解しようとする舞。まさに哲学を具現化した、肉体でもって哲学を立ち上げる試みといえる。それは能との近似性を思わせるものである。羽生結弦という人は、フィギュアスケートというスポーツを前人未踏の「思想」「哲学」の域まで持ってゆこうとしている。

思想の域に到達することで、スポーツも宗教的な慰めを提供できるのではないだろうか。そこには東日本大震災を経験した彼だからこその「救済」を願う気持ちを強く感じる。そのためには、身を律して宗教的高みを目指すしかないのだ。この「Let Me Entertain You」の演技は観る者にそれをだめ押しして来るかのようなものだった。