yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

三島由紀夫の「近代能」を「幽玄と崇高」で読み直すプロジェクト

演劇の研究に一つの方向性が出てきたという手応えのようなものを感じている。

方向性が見えたと感じたのは、一冊の本との出会いだった。大西克禮氏の『幽玄とあはれ』(岩波書店、昭和14年刊)である。そもそもこの本の情報をえたのはまさかヒットするとは思わなかった「崇高と幽玄」の組み合わせでのネット検索。ありました!両角克夫氏の「崇高と幽玄:比較芸術学の試み」(比較思想研究5、1978)、CiNiiで読める。西洋と日本の美意識をざっと総観したもので短い論文。非常に興味深い論が展開していた。その中で言及されていたのが、大西克禮氏の著書だった。

幸いなことに近隣の図書館が大西克禮氏の著書を5冊所蔵していたので、とりあえず『幽玄とあはれ』、それに『カント「判断力批判」の研究』(岩波書店、昭和6年)それと『現象学派の美学』(岩波書店、昭和12年)を借り出した。何十年も前の出版物なので普通なら禁帯出となるところ、とてもありがたい。

大西克禮氏(1888-1959)は東京帝大哲学科で教鞭をとられるかたわら、西洋美学と日本美学の比較研究に実績をあげられた。また、当時翻訳が未完のままだったカントの『判断力批判』 (Kritik der Urteilskraft )の翻訳を完成させられた。 『幽玄とあはれ』で展開する崇高と幽玄の比較には、カントの『判断力批判』の色合いが濃く見られる。もう80年ばかりも前に、すでにここまでの研究がなされていたこと、しかもその頃はまだ日本では新しかったであろう現象学と関係付けられているのに驚いた。私自身の無知によるのかもしれないけれど、日本の美学の出発点が彼によって始まったことに、またそれが現代のものとして通用するというか、むしろ凌駕しているのを知らなかったのを恥じる。 

『幽玄とあはれ』は、中世的美意識の「幽玄」、それと主として『源氏物語』に見られる美意識の「あはれ」を論じる二章に別れている。「幽玄」章を読んだところであるけれど、幽玄概念の美学的意味の変遷を追い、さらには「有心」との関係を論じるところ、それを西洋美学と比較するところ、さすがの東西哲学に通じた学識である。特に「幽玄」が深さと艶を備えた「美」である所以、それが「崇高」より派生したものと推論するところは、圧巻である。感銘を受けたので、早速古書を注文、今日届いた。もう一点、大西克禮氏の著書、『風雅論ー「さび」の研究ー」も入手した。これは『幽玄とあはれ』の姉妹版で、これで日本美学を貫く「美」の系譜を比較美学の観点から解釈するという大西克禮氏の著作が揃ったことになる。

私がペンシルベニア大学に提出したPh.D thesis (博士論文)は、三島由紀夫の劇作品−−能楽作品と歌舞伎作品−−を主としてカント的「崇高」概念とラカンの精神分析理論を援用して分析したものである。三島の近代能と能作品とを比較、新しいアプローチで再び読み直したいと考え始めたところである。なぜ「近代」能なのか、崇高と幽玄との関係を軸に分析できればと考えている。世阿弥が帰依したという禅思想と幽玄との関係はつとに知られているところではあるけれど、改めてそれを比較思想、美学の観点から探りたいと考えている。これって、実はペン大の大学院受けたラ・フラワー先生(Prof. William R. LaFleur)の授業が被ってくることに、最近気づいた。2010年2月に鬼籍に入ってしまわれた。追悼の想いを込めて、ペン大のサイトから写真をお借りさせていただく。

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フランス文学から西行へ、そして禅へ、さらには日本人の死生観へと研究を移されていたラ・フラワー先生。不肖かつ生意気な学生だった私は、先生の2年目のコースを履修せずに、カント研究で有名なガイヤー先生(Prof. Paul D. Guyer)の「カントの判断力批判研究」の授業を受けるなんてことを、やってしまっていた。でもこれらが一つになって生きてきているような気がしている。まだまだ、先は遠いけれど、英語で発表するつもりである。